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今日の自分と明日の自分

朝目が覚めてふと考える
夜寝る前でもふと考える

今日の自分は昨日の記憶を引き継いだだけの
今日だけの自分なのかもしれない

もしかすると日単位ではなく
時間とか、分単位とかなのかもしれない

新しい自分が時間の経過とともに
連続して生まれていて

どんどん死んでいく自分の残骸が
記憶という名前で脳に刻まれて
いってるんじゃないか

実は寝るということは死ぬと
いうことと同義なんじゃないか

確かに今の自分は昨日の自分と同じ自分だと
自分に言い聞かせてはみるものの
確証は得られずしばし不安になる

でも、仮にそうだとしても
これまでに数え切れないくらい
死んでいることに気づくことなく
今を、生を感じている自分もいるので

落ち着け自分、と自分を落ち着かせ
今を確かに感じてるじゃないか
生きてるじゃないか
だから仮にそうだとしても怖くはないじゃないか
と、自分を納得させる

どこから自分でどこまでが自分?

あーあー、だめだめ
さっきまで自分だったんだから
そんな粗末に扱っちゃだめ

中学の時、保健室の先生が言った

指のささくれを取って
ポイっと捨てたことに対して
言ったことだった

それまで瘡蓋とか抜け落ちる毛とかに対しても
自分の一部という感覚を持ったことがなく
すごく新鮮だった

右手の指先から体全体を経由して
左の指先に至るまで
1mmずつ切断していったら

いつまで自分は切断されていく
さっきまで自分だったものを
さっきまで自分だったものと
認識できるんだろう

当時の保健室の先生に質問してみたいが
きっと

あーあー、ダメダメ
その前に死んじゃうから

と真顔で諭されるのが目に見えている

もし麻酔とかで痛みを取り除いて
輸血しながら切断していったとしても
脳に達した時点で
徐々に自分を認識できなくなっていくんじゃないかな
とも思う

脳の中に自身の連続性を保ってる
ところがあって、そこを断ち切られた時が
自分が自分で無くなる時なのかもしれない

いつからが自分

もしかしたらさっきの脳の話と
ちょっと関係するかもしれないけど

自分の一番古い記憶

多分、そこから自我が徐々に形成されたことで
自分を自分と認識して自分になっていったのかな
と、考えることがある

やっぱり今以前の過去の記憶というのが
自分なんじゃないかな?
とか思う自分もいる

そう考えると自分というのは脳にあって
脳の形成、脳の衰退でいつからいつまでが
自分なのかが決まるのかな?
あー、ボケたら今の自分じゃなくなるのかな?
と、考える自分がいる

一番古い記憶が0歳とか1歳とか
小さい時からある人は
その頃からうまく自分を連続して
保ててて

5歳6歳、小学校くらいからの
記憶しかない人は自分の連続性が
何処かで途切れてうまく引継ぎができてなくて
どこかで一度分岐してしまったのかな
とか

今書いてる文章だって
さっきまで書いてた自分と今の自分
これからの自分でブレがあって

最後の仕上げで一貫性を持たせるための
微調整を行うことで
自分に一貫性を持たせた気になっている
自分は自分であって唯一の自分だぞ

二重や多重人格と言われる人たちは
この自分という連続性がなかったり
途中で死んで、前に死んで分岐した
自分の記憶を受け継いで急に生まれたり
している人
なんじゃないかなとかも思う

、、、もう1,000文字超えてるなぁ、

長文書くことで自分の一貫性が
保てなくなってくることを実感しつつ
確かに文章も思考も支離滅裂気味になって
きたので、そろそろ締めようと思います

長文得意ではないので
400文字超えたら長文で
1,000文字超えたらもはや超大作


あーあー、全体的に
サイコな感じになってごめんなさい
厨二病要素も満載ですが

あと、文面から理解いただいてると思いますが
全部自論で根拠も何もないので、悪しからず

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