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名前の由来|だから自分に名前を付けた|西川火尖
まだまだ暑いですが9月になりました。Qaiは8月いっぱい夏休みをとっていて、今日は明けて1発目、西川火尖からまた始まります。テーマは「名前の由来」です。
私は自分で、西川火尖という俳号を気に入ってるし、郵便物が火尖宛てで届いても、街中で「火尖さーん」って大声で呼ばれても普通に返事ができるくらい馴染んでいて、もはや本名で呼ばれる方が稀というか、むしろそっちの方が気恥ずかしいというか、真名を握られている感じがあってちょっと焦るよね。焦らない?俺は焦る。
俳号の由来についてはTwitterで言ってる通りで
白泉、俳号も句もかっこいいなぁ
— 西川火尖(にしかわかせん) (@nishikawaksn17) May 28, 2017
「せん」だけ貰お。そういえば炎環に入るんやった。火、貰っとこ。泉だとそのまますぎるかなー、変換、千川戦、尖→火尖いいやん、もし死んで忌日になったら三音使いやすいし()
赤黄男かっこいいなぁ、じゃあ俺、梨男でいいか!という案もあった#俳号の由来
特に付け足すこともないんだけど、2005年当時の状況を少し詳しく話すと、火尖になる前は1年ほど89(ばく)と名乗って俳句を作っていた時期があった。自己紹介でも話したハイクブログ時代のことだ。
89は大学のサークルで定着したあだ名で、その名前で簡単な評論を書いたり89日記というサークル日記をつけていたら、たまに短い詩の切れ端のようなものが紛れこむようになっていった。自分に別の名前をつけたら、そいつが勝手に書き始めたようなもので、俳句を作り始めたときに名乗った名前が89なのも全く自然な話だった。89は書きたかったのだ。
89として俳句を書いて過ごした一年はもしかしたら俳句で一番楽しかった一年かもしれない。ハイクブログを通じてたくさんの友人ができた。Twitterで言うところの俳バト大会みたいなことを企画して、ハイクブログを使い倒していた。89という名前にも当然愛着があった。
それでも炎環に入ることを決めてから、あっさり89という名を捨てて、ハイクブログのbio欄に西川火尖と書いた。
89という名前をつけて初めて書きたいという欲求が形になったように、西川火尖という俳号らしい俳号を名乗ることで、俳句の世界に入る自分を明確に形にしたかったのだと思う。有体に言えばめちゃくちゃ形から入ったというただそれだけのことだけど、それだけのことに、創作を続けるという意味では何度も助けられている。(創作をやめようとした日)
そして西川火尖を名乗って15年経って、俳号は自分でつけた名前を自分で育てていくところにも良さがあるのだなと最近思うようになった。