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「思索工房」をはじめるにあたって 2011年3月27日

「思いを伝える力を支援する」

「思いを伝える力を支援する」というコンセプトが現在、私を突き動かしている情熱であり、モチベーションである。

7年前から電子黒板に関わり、以来,多くの教育の現場を拝見し、多くの先生方、学識経験者の皆さんと話し合った。

その中で、日本の教育の現場を考え続け、辿り着いた言葉が「思いを伝える力を支援する」という言葉だ。

そしていま自分が今まで24年かけて培ってきた、モノを創る=「プロデュース」という世の中にないものを創り出すノウハウが、なにかしらの形で日本に貢献出来るということを確信し始めている。

なぜなら大きな意味で、日本は何かを創り出すということについて、大きな「転換期」にあたっているからだ。

それは20世紀から21世紀にかけての時代の変節点と呼ぶべき大きな大きな転換である。

それは「龍馬伝」の時代に黒船がアメリカからやってきて徳川幕府が終わったとき日本で起きた時代の変換点くらいに大きな変換点なのだ。

日本の原動力は、「辺境人としての必死のキャッチアップ」

当時、坂本龍馬があこがれ、明治幕府が開いた栄光の20世紀に日本が果たした大躍進は、全て「辺境人としての必死のキャッチアップ」の為せる技だった。

内田樹氏は『日本辺境論』のなかで「日本は、中華でもなく、西洋でもない、いずれにも編成されていない。その意味で日本は、世界の中心になり得ない。中心でなく、辺境としていつでも周回遅れを認識してきたのが、日本の歴史である。しかしながら日本という国は、その辺境としての遅れを認識した時にこそ真価を発揮する。遅れを取り返そうとするとき『キャッチアップ』という原動力が生まれ、世界にもまれなスピードで成長する」と論破している。

日本は、栄光の20世紀を経て、21世紀になって急速に減速した。
なぜか?

日本はいまキャッチアップすべきモデルを見失ったからだ。

ヨーロッパとアメリカを追いかけているうちは楽だった。
いまや世界中のどこを探しても、日本が追いつくべきモデルはなくなってしまった。

車、オーディオ、パソコン、ケータイなど、欧米諸国の発明品をまねして「軽薄短小」に安く、小さく、便利にすることで、日本は成長してきたのだが、その手法が21世紀になって通じなくなったのだ。

いまやどこにもオリジナルなものがないので、得意の「真似」ができない。周辺国家として「遅れを取り戻すことだけを得意技にしてきた日本」にとって、これは国家的な滅亡の危機となった。


だからこそ、21世紀に日本は失速した。

失われた20年どころか、これは100年失われるかもしれない可能性がある危機である。変わりゆく世界の勢力図のなかで、まったく立ち回り方がわからなくなってしまっているからだ。

答えはないか?
いや、実はあるのだ。しかし誰もそれに挑戦しない。答えは一つ。真似ができないのならば、「世界に例のないもの創るのだ」

世の中の誰にも考えついたことのないオリジナルなものを創ることだ。

しかし、実はこのモデルなき中で「新たなオリジナル」を創るチェンジということが日本にとって、大変な革命なのだ。

世界の中心を奪おうとする気概を持つ新興国家は、古い体制、古い国家のモデルを否定して、自分たちの国家モデルやそれを象徴する製品を生み出し、
自分が支配する領土に広げていく、それが国家の発展を生むのだ。

すべてをキャッチアップした、いまこそ、実は日本が根本から変わるチャンスなのである。

従来の周辺国としてではなく、世界の中心国家として世界にメッセージを発信する最大のチャンスにあるのだ。

日本初のオリジナルを世界に問うチャンス。
自分が考えたことが自分の死後に世界を幸福にするチャンス。

そんなチャンスを活かす子供たちを創ることが21世紀の日本の教育にほかならない。

しかし、日本のいまの教育の形態、教育内容は周回遅れのキャッチアップ至上主義の明治以来の周辺国モデルのままだ。

政府と大企業への忠誠心を選別するための試験、受験と就職のための暗記、答えのある問題に対して求められる即応性、大量で同じような問題を処理する管理能力、大量生産向きの国民あげての識字率と平等教育。

それは20世紀の資本主義が求めた「大量生産のための労働力」と「大量消費のための購買力を育成する教育モデル」である。
明治期に設計された資本主義モデルの継承なのである。

日本がいままで持ってきた1億人という市場のボリュームは、20世紀ならば世界でも有数の市場規模だった。

しかし、ユーロが統合され、巨大市場の中国、インド、ロシア、アフリカが目覚める中、市場規模としての日本は人口が縮小するだけの低迷市場である。

これからの日本人は世界市場で闘う気概が必要である。シュリンクする日本市場だけでなく、世界に友人と市場を求める気概が必要である。

自分の創ったオリジナルなものを世界に広める気概。自分が死んだ時代に自分が携わった製品が子供たちの世代に使われていること夢想する気概。

いま必要な教育はそうした「大それた夢想にチャンレジする子供」を育てる教育だ。

それには、国の教育の根本から変えなくてはならない。なにより、チャレンジする気概を育てる。そして失敗することを許容する枠組みを創る。

正解がない、解答がない、何を選んでもよいというオリジナルな世界では、自己選択の責任が重要だ。

しかし、自己選択の結果はいつも成功するとは限らない。正解にたどり着かない、失敗する、これらはすべて社会全体で許容しなければならない。


失敗から学ぶ方法を教える。失敗した子にセカンドチャンスを保証する。オリジナルを創ること、失敗を歓迎すること。これは表裏一体だ。

「人生をひとつの織物と見なし、幾多の失敗や成功を織り込んで、一つの壮大なオペラ(作品)にするのだ」蒼天航路より

私は、いままで24年にかけていろいろな作品を創ってきた。
アニメ、ゲーム、ビデオ番組、映画配給、ネットコンテンツ、電子黒板。
成功もあれば、失敗も多い。利益を出したり、会社に損をさせたりもしてきた。

しかし、この24年、かなりの体験をしてきた。プロが集まって、作品を作り上げる「プロデュース」というものを、よい意味で血肉になるほど経験してきた。これからはそのプロデュースという手法を日本の教育に活かすために「思いを伝える力を支援する」という原点を持って「世界初のオリジナルを創るコラボレーションを支援する」気概で日夜、世界と対峙していく気でいる。

太田泉の思索工房を始めるにあたって


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