【1000字書評】尾崎翠『第七官界彷徨』「健康」な恋愛への「不健康」なためらい
さて、とある講座で毎月1000字書評を書いているので、こちらにアップしていきたいと思います。
今回の課題は、尾崎翠『第七官界彷徨』。
はじめて読んだときの衝撃は、いまでも忘れられない。
感覚派、幻想小説、伝説の作家……さまざまな呼び名で語られてきた尾崎翠だけれど、その魅力を説明するのはきわめて困難である。
せめて物語に漂う蘚の花粉のように、はたまた煮こまれるこやしのように、その感覚の片鱗だけでも伝えられたらと思う。
尾崎翠とは?
1896年(明治29年)鳥取にて生まれる。女学校を出て、地元の小学校で代用教員として働いていた頃に文芸誌への投稿をはじめて注目される。
文学で身を立てるため上京し、日本女子大学で学びながら『新潮』に「無風帯から」を発表して注目を集める。その後、大学を中退し、鳥取と東京を往復する生活を送りながら執筆活動を続け、1931年(昭和6年)に「第七官界彷徨」を発表し、その斬新な感性が一部で話題を呼ぶ。
それ以降も、「地下室アントンの一夜」「こほろぎ嬢」で徐々に評価されつつあったが、常用していた薬によって健康を害したため、家族によって鳥取に連れ戻され、執筆が途絶えたまま、 1971年(昭和46年)死去。
第七官界とは?
「第七官界彷徨」の第七官界とは、人間の感覚である五官、さらに霊感とも言われる第六感の次の感覚を指していて、主人公である小野町子が「人間の第七官にひびくような詩を書いてやりましょう」という思いを心に抱くところから取られている。この小説自体が第七官界にひびくものであり、感覚の極北で綴られた物語とも言える。
私が持っている筑摩書房版の解説で、矢川澄子は尾崎翠のドッペルゲンガーへのこだわりをひいて(「第七官界彷徨」では「ドッペル何とか」と書かれている)、「尾崎翠はもしかして二人いたのではなかろうか」と書き、こんなふうに続けている。
「異常なまでの明るさ」と「悲痛な軽やかさ」とはまさに言いえて妙で、尾崎翠の魅力について語ろうとしても、白夜のような明るさに私たちは目がくらみ、蘚の花粉のような軽やかさは私たちの手をすり抜けてしまう。
悲痛というのは、文学の志を抱いて鳥取から上京し、昭和初期のモダニズムの時代に斬新な文章で注目を集め、同じく新人作家であった林芙美子に敬慕されるほどの才気を発揮したにもかかわらず、さまざまな事情が重なって地元へ戻り、そのまま文壇から忘れ去られてしまったという尾崎翠の生涯を重ね合わせているのかもしれないが、たしかに、彼女の愛したチャップリンのような物悲しさが物語の片隅に漂っている。
以下、1000字書評
『第七官界彷徨』では、蘚の恋愛と人間の恋愛が並行して語られる。
「我ハ曾ツテ一人ノ殊に可憐ナル少女に眷恋シタルコトアリ」と論文の冒頭に綴る小野二助は、失恋したことをきっかけに植物の恋愛の研究に没頭するようになる。
蘚の恋愛はこやしによって触発されるため、物語の主人公である町子が兄の一助と二助、そして従兄の三五郎とともに暮らす家には常にこやしの匂いが漂い、恋情をそそられて花をひらけた蘚の花粉が舞い散っている。「植物の恋愛がかえって人間を啓発してくれる」と三五郎が町子に言うとおり、蘚の花粉を吸いこんだ住人たちもそれぞれ恋に落ちる。
ところが、蘚とくらべると人間の恋愛はどうにもあやふやだ。
二助が恋した少女には、二助のほかに「深ク想エル人間」がいた。病院に勤務する精神科医の一助は入院患者に恋をするが、もうひとりの医者との三角関係に悩まされる。音楽を勉強する受験生である三五郎は、町子を慈しんでいたにもかかわらず、隣の家の少女も気にかかる。そんな三五郎を見て泪を流していた町子も、束の間の恋に落ちる。
どういうわけだか人間は、蘚のように「健康な、一途な恋愛」をすることができず、一助の言うところの「分裂心理」に陥ってしまう。恋心はあてもなく空回り、「誰を恋愛しているのか」すらも解らなくなる。
どうして蘚のように「健康な、一途な恋愛」ができないのだろう?
蘚はあんこのように煮たてた熱いこやしを養分として、大量の花粉を放出し、再生産へ邁進する。一方、一助や三五郎は浜納豆やすっぱい蜜柑をつまんで、三角関係に悩む。町子は短い恋の相手の家で塩せんべいとどら焼きを食べて、睡気を覚える。二助は蘚が開花せずにためらっているのに気づき、「分裂病ニ陥レルニ非ズヤ」と心配する。結局それはこやしが中温度であったからだと判明するのだが、焦った二助は栗とチョコレートを取り違える。
生命力にあふれた「健康」な蘚と比べると、栄養分に乏しい食物ばかり口にして、「分裂心理」に陥る人間の「不健康」さが際立つ。蘚の花粉によって恋心を刺激されても、住人たちは足踏みをするばかりで、恋の成就に向けて踏み出すことができない。再生産にはほど遠い。
その「不健康」なためらいこそが、現在においてもこの作品がまったく古びず、共感を得る理由なのだと思う。
(2022/11/10 2021/02/15のはてなブログ記事より修正&転載)
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