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かけがえのない生を取り戻す場所 石井光太『こどもホスピスの奇跡』

前回の『くもをさがす』に続いて、また病気に関する本ですが、石井光太『こどもホスピスの奇跡』を読みました。

ホスピスというと、治療が不可能な難病を抱えた患者が緩和ケアを受けなが死を迎える場所、というイメージが強い。けれども、ここ最近は「緩和ケア」の意味合いが変わり、治療不可能な患者の痛みを緩和するだけではなく、現在治療を受けている患者の生活の質を高めるために必要なものと見做されている。実際、私もホルモン治療を受けはじめた頃、緩和ケアの診察室に相談に行ったことがある。

ホスピスもまた、ただ死を迎える場所ではなく、よりよく生きるための場所、かけがえのない生を満喫するための場所と変化しつつある。
この理念に基づき、2016年に大阪市の鶴見緑地の近くに「TSURUMIこどもホスピス」が民間施設として建てられた。そこに至るまでの医師や看護師、幼い患者たち、その家族の奮闘の記録がこの本に綴られている。

まず、最初の章「小児科病棟の暗黒時代」に記されている、かつての小児科が抱え持っていた問題に驚かされた。いや、よく考えたらわかる。子どもが難病になると一家崩壊の危機に陥るのは不思議ではない。

とはいえ、その昔は子どもの入院患者には親が付き添うのが通例だったので、母親(多くの場合)は仕事や日常を続けることが困難になり、治療費も発生するので一家の経済状況は苦しくなり、往々にして夫婦仲も険悪になり、健康なきょうだいが放っておかれることでドロップアウトすることもめずらしくなかったという事実には胸が苦しくなった。
しかも、子どもの患者も自分のせいで家庭が崩壊したと自覚し、たとえ病気が治っても、帰るべき家庭はぼろぼろで、学業や就業にはついていけず……という何重もの苦悩に襲われていた。

そんな小児科の現状を変えるべく、小児科医療をリードする阪大病院の原医師、子どものケアを学ぶために阪大病院でボランティアをしていた元保育士の山地理恵、大阪府立母子センターでの勤務を経て、英国の小児ホスピス「ヘレンハウス」へ留学に行った多田羅医師といったプロフェッショナルがそれぞれの経験と学びを持ち寄って、大学病院や医療界の前例や慣習に抗いながらプロジェクトを始動させるくだりは、NHKの「プロフェッショナル」を観ているような読みごたえがある。

だが、この本でもっとも心を打たれるのは、大病院の小児病棟に閉じこめられた子どもたちが患者同士でつながり、たとえ難病を抱えていても、自分たちは病気を治すためだけに生きているわけではないと声をあげて、未来を信じて懸命に生を楽しむ姿である。

なかでも、中学2年生のときにユーイング肉腫を宣告された久保田鈴之介の人生は忘れがたい印象を残す。
宣告のあと抗がん剤治療を受けて、中学3年生のときに復学し、猛勉強の末に大阪の名門である大手前高校に合格する。高校に進学後も学業と剣道に励み、まさに文武両道という言葉にふさわしい日々を送っていた。

ところが、高校2年生のときに病気が再発する。自分の病気を見つけてくれた医師に憧れる鈴之介は、京大医学部を目指して、厳しい治療を受けながら勉強を続ける……が、彼の人生が印象深いのは勉強熱心さだけではなく、常に同じ病棟の後輩たちを励まし続けたことにある。
難病を宣告されて不安な気持ちでいっぱいの小学生や中学生にまめに声をかけ、彼ら彼女らが親や医療者を困らせていたら諭すこともあった。そうやって仲間の輪ができてくると、消灯前に病棟の使っていない部屋を貸してもらうよう病院に交渉して、中高生の患者が集まって交流できる場を作った。

さらに鈴之介は、入院していても勉強を続けられるように、院内学級の制度の設立を大阪市に訴える。小学生中学生とちがい、高校生は義務教育ではないので制度が整っていなかったのだ。世間においては勉強なんてうんざりという子どもも少なくないだろうが、勉強とは未来へのパスポートであり、病気の子どもにとっては、勉強を諦めるということは、未来を、生を諦めることを意味するのが強く伝わってきた。

なんとか院内で勉強を続けられるようになったものの、苛酷な治療によって鈴之介の成績はなかなか上がらず、将来の夢を医師から教師へと変更して教育学部を目指す。なんとしても自分の経験を社会の役に立てたいと願っていたのだ。
だがその頃、鈴之介の父親は「完治の見込みはない」と原医師から事実上の余命宣告を告げられる……

それにしても、書評というより単なる感想になってしまうが、このあたりを読んでいると、この世には神も仏もないのではないかとどうしても考えてしまった。常套句であるけれど、他人のことを思いやるいい人ほどはやく旅立ってしまうように思えてならない。

こうして原医師や多田羅医師の長年の活動と、難病を抱えた子どもたちの思いが――もうすでに亡くなった子どもたちも含めて――結実して、こどもホスピスの建設が進められた。

当初は関西の高級住宅地である宝塚を予定していたらしいが、
「ホスピスって死ぬ子供が集まってくる施設やろ。そんな建物ができたら、地価が下がるんとちゃうんか」
という反対の声が一部の住民からあがり、ちょうど土地活用事業を公募していた鶴見緑地に変更された。

無事設立されてからも、難病を抱えた子どもたちとその家族とどうやってつながるのかは試行錯誤が続いた。ホスピスは病院とはちがい、治療する場ではない。そのうえ、子どもはおとなのように自分の意思を明確に言葉で伝えることはできない。
自分たちはほんとうに役に立っているのだろうか? 
どうしたら患者が、家族がよりよい生活を送るために支援できるのか? 

そういった試行錯誤は、施設が存続するかぎり、新しい患者が訪れるたびに続いていくのかもしれないが、「こどもホスピス」の存在によって、子どもの患者たちは病気に罹る前と変わりのない日常、かけがえのない生を取り戻す力を与えられているにちがいないと、この本を読んで心からそう思った。


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