自由は自ら勝ち取るもの〜自由教育‥次男の学校のこと〜
こんにちは!
〜全ての子どもに 幸せな子ども時代をプレゼントしたい〜
長野県松本市の自然学校
かまばの森で遊ぶ会
代表の、Qちゃんこと玉田尚子です。
今日は、我が家の教育の話題を‥
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今日は次男の学校で大人(先生)と面談があった。
次男の学校は話題の映画「夢みる小学校」の舞台になった南アルプス子どもの村小中学校。
寮に入って、毎週末帰宅してくる。
この学校に入ってからよく聞かれることがある。
Q、こんな小さいのに親元離れて大丈夫?
Q、子どもと離れて寂しくないの?
Q、自由にさせて、わがままにならない?
Q、勉強は大丈夫なの?
どれも、入学前に私自身が気になったことだけれど、今となってはどれも的外れな不安だったなと思う。
平日いないくらいで親子の絆なんて全〜〜く変わらないし。
学校との関わりはとても濃厚。
第三者の目が複数加わって、子育てを客観的に見れるようになった。
もちろん、寂しくない。
私は私の人生を歩むだけだし、次男は(なかなかエネルギーのある男なので🤣🤣)ちょくちょく私の心を乱してきて、定期的に学びをくれる存在でもある。
そして、自由にすると、わがままになるのでは??という意見。
これは、全く見当違いだと、この学校の様子に触れて、初めて実感してる。
自由って、本当は、めちゃくちゃ厳しい。
自分はこう思ってる、
あなたはこう思ってる、
あの人はこう思ってる。
みんなが自分らしく心地よく過ごすためには、徹底した話し合いがつきまとう。
いつでも自分の気持ちと相手の気持ちを丁寧に聞いて、理解に努める
意見はしっかり言葉で伝える。
調和をはかる‥
それには技術がいるんだなって、この学校の話し合いを見学してても感じた。
単なる多数決じゃない、
自分の経験から相手の気持ちに寄り添い、
少数意見から軌道修正する勇気と柔軟性‥
小学生のミーティングにもしっかり見られて、驚愕した。
次男は、学校が楽しくてたまらない、
と言う。
でも、親の目から見ていて、
それは決して「楽」ではないし、
「好き勝手」できるわけでも「わがまま」放題でもない。
次男は正直言って、はっきりいって、
よく問題を起こすタイプ。
今日だって、それで学校の大人と保護者面談になったし🤣
だけど、次男は学校が大好きで、全力で楽しいっていう。
一年生から校長まで、一人ひとりが「自分自身」として感じ、意見を言い、他のみんなの意見も聞いて、着地点を探る。地味なその積み重ねで、「やりたいこと」「自分たちらしい生活」を作り上げていく過程。
きっとその苦しさはマラソンランナーのような感覚なんじゃないかしらって想像する。疲労の爽快感、走り終えた達成感のような。(←親の想像だよ)
勉強はどうなの?という不安について‥
うん、みんな、「勉強」の意味を狭く捉えすぎてないかなって時々感じる。
何のために学ぶのか?
私は受験テクニックで高学歴を得て、それをあまり活かさない分野に進んだから、それだけにことさら思うのだというのは認めるけど、
教科書の勉強ってそんなに必要かな。
学びってもっと広いし深いし、何しろ時代は変わってる。
私たち親の価値観が、世間でいちばん遅れてるのでは?と感じる。
必要があれば、子どもは自ら学ぶ。
そのためには、絶対的な安心感が必要。
いつでも自分の気持ちに向き合って、
人の気持ちを聞いて、
どんなことを思ってもそのまま受け止められる関係性‥
絶対的な安心感の中で、
(学校という一つの)社会を作るという
経験の中で、
自由に自分を表現していく。
かまばの森でもいつも感じていることだけれど、
子どもってほんとうに、自ら育つし、自分がその時必要な学びは、本能的に知っていて、
自然と学んでいくものだと思う‥
その環境さえあれば。
次男はこの学校を、自分で選んで、周囲の反対に負けず、自ら進路を勝ち取った。
6歳だって、自分の「やりたい」はわかるし、道を選べる。
子どもから学んだこと。
本当にこの息子は、親の心をかき乱すし、それによって学びをくれる。
私は、子どもが安心して育ち、自分らしくクリエイティブに生きられる環境を、かまばの森にも作りたい。
私がこういうことをしたいんだな、ってことも、現場で子どもたちと向き合いながら気づいたこと。
子どもは先生。
次男が自分の人生をしっかり歩いてるように、
私も自分の生きたい人生を歩むよ。
明日は朝日村で、この「夢みる小学校」
の上映会もあります。まだ観てない人はぜひこの機会に観てみてね。
詳しくは、主催者のゲストハウスかぜのわさんのインスタ↓
@ghkazenowa
の投稿からどうぞ。
#南アルプスこどもの村小中学校