たこ焼きが待てなくなる
有する時間軸の個人差
同僚のオフィスは、何故だか職場のネット環境があまりよろしくない。
そこへ赴いた際に、タブレットへファイルをダウンロードしながら「そういえばここはあまりネット環境良くなかったんですね」と遅々として進まないプログレスバーを見つめながら、ふと呟くと「そうなんです。でもそれを他人からいわれるまで遅いと気づかずに、こんなもんだろうと過ごしていましたよ」
ここのオフィスの住人は、イギリスで長く過ごしていた方だからか、日本のように秒針の動きを見つめながらのような時間に迫られる生活環境からはどこか遠い、ゆったりとした時間軸を持っている方だ。
そこでいつの間にかサクサクとファイルをダウンロード出来ることを求めている私自身がいることに気付かされた。ネット黎明期などではプログレスバーの緩やかな進行具合をジーッと見つめてワクワクしながら過ごせていたのにだ。
いつしか素早さを求めるようになっていたのだと思う。
自己の時間軸を強要する
ところで先日見たニュースでは、屋台のたこ焼き屋さんによる「数分すら待てない客が増えている」という嘆きの声が記されていた。
その店主によると、待てずクレームを言ってくるようなせっかちな客は、5年ほど前から増えてきたらしい。
程度問題ではあるが、自らの時間軸を相手に強要することによってクレームやトラブルへとつながってしまう。
終わりなき忙しさと時短
Amazonのトップページの読み込みが1秒遅れると、年間16億ドルの売り上げが失われるという。
分刻み、いや秒単位の正確性を誇る日本の鉄道。都心の通勤ラッシュに揉まれる人々に心の余裕は感じられない。
あおり運転の報道はおさまることがなく、いまなお次々と新たなニュースを見聞きする。
学生たちは時短といい、講師の講義をオンデマンドで倍速で聴き慣れてしまっていたため、対面の講義に不平を述べ、さらに講義中の雑談めいた話をも毛嫌いする。
「関係ない話はするな」と。
限りある時間を有効的に使いたい。そんな焦燥感も理解できなくもない。
しかし時短時短で得られた時間を一体何に使うというのか?
走り出したら急には止まれない
モータリゼーションによる交通の短時間化、効率化を経て、さらにはインターネットの普及によって飛躍的に高速化した現代。
加速に慣れた運転手は、20キロ制限の狭い道路を信じられないほどアクセルを踏み込んで運転する。
習慣だからなのだろうが、そんなドライバーの持っている固有のスピード感は、もはやフレキシブルに変更すら出来ないのだろうか。
それと同様、いざポッカリ時間が空いても何かしていないと落ち着かない。
ネットが繋がらないと不安になるし、イライラする。
そんな現象が起きているのではないでしょうか。
おわりに
速さに慣れた心身は、そうやすやすとアクセルを緩めることが出来ない。
だから今こそ無理矢理にでも、ニュートラルにギアを入れる挙動が必要なのかもしれない。
おしまい