好きは収束する
カフェに行ってお昼ごはん。
カリカリの目玉焼きが乗ったごはん。お気に入りでよく食べる。
やっぱり目玉焼き好きだな、特にカリカリで塩コショウがかかってるやつ。
そんなことを考えながらごはんを食べていたところ、ふと思ったのは
「あれ?私色々なところで目玉焼き食べてない?」ということ。
ガパオライス。
メープルのサンドイッチ。
ああ、カフェラテあるとカフェラテ頼みがちだな。
仕事休みでも必ずコーヒー類は摂取しているな…。
やっぱり目玉焼きいい、そしてお米使ったカフェごはん良い。
自分でお店作るならカリカリで塩コショウふった目玉焼きが乗ったごはんは絶対に置きたい。
でもサンドイッチも好きだな、あまり手広くしてしまうと散らかるしどうしよう。
チーズケーキも大好きだ。
チーズケーキもお店作るなら必ず置きたい。焼いたことないけれど。今年こそ焼けるようになろう。
チーズケーキといえば最近食べたラムレーズンのチーズケーキが絶品だった。
そこで思い出す、このお店のラムココアも美味しかった。
ラム酒の香りも大好きだな。
色々なお店に行くけれど結局好んで食べるものはあまり変わらない。
自然と好きなものに引き込まれ、好きなものを選んでしまっている。
たまに冒険してみたくなって冒険する。一時的にブームになったりする。
冒険という風に思うということは定番もあるわけで、知らず知らずのうちに定番とそうでないものの意識が生まれているのだろう。
お店の内装もそう。
どんな接客をされたいかもそう。
暗めのお店が好きな人もいれば、明るくて解放感のあるお店が好きな人もいる。
干渉され過ぎるのが苦手な人もいれば、たくさん話しかけてほしい人もいる。
人気のお店、良いお店、たくさんあるけれど
人気だからといって必ずしも自分が好きになるとは限らないし、
自分が良いと思っていたからといって必ずしも他の人が良いと思うとも限らない。
好み、価値観は人それぞれだから。
人は様々なものに出会って、見て、感じて、それぞれ好きなところに落ち着いていくものなのだろう。
アーティストのファンはライブ会場に集まって一体となってライブを作り上げる。
カフェに置き換えるなら、そのカフェの◯◯という食べ物が好き、コーヒーが好き、店員さんが好き、流れている音楽が好き、そのカフェの空間を形成するもの全部引っくるめて好き。
そんな人たちがカフェに集まって、お互いに話しかけたりすることはなくても、名前も知らなくても、もう二度と会わないとしても、その瞬間のカフェにいてその空間を味わうと同時にその空間の一部分になっている。一緒にカフェの空間を形成している。
それはとても素敵なことだと思う。
類は友を呼ぶという言葉があるように、同じ“好き”を持った人たちが同じ場所に集まっている。話しかけたりはしないけれど、同じ“好き”を味わっている。
“好き”で集まった人たちで形成される空間、なんて優しくて温かくて心地よい空間なのだろう。
好きは収束する。
自分のなかで。
様々な場所で。