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イヤなこと、どう伝える?大切な友人に勇気を出して伝えてみた

メンタルがやばい。
彼との関係がまったく進展しないことの不安がずっとつきまとっている。
口にすることで更にやばくなりそうだから避けたい。

でも。

やばいものはやばい。

同じことが頭から離れない。
外に出ると途端に動悸がしだす。
仕事中だろうが、電車の中だろうがおかまいなしで、突然号泣したりする。

私ののほほん人生の中で、これは一大事だ。
非常にやばい。

そんな私の話をずっと聞いてくれている友人がいる。
彼女に昨日、お願いの連絡をした。

今は誰と連絡をとった、どこに行ってきた、という話は控えてほしい

彼女は誰とご飯に行ったらおいしかったから行ってみて、とか、
ライブがすごく良かった、次はあのライブに一緒に行かない?とか、
近況を送ってくれることが多い。

お願いする前日も、こどもと遊園地に来ていると連絡をくれた。

私はちょうどカウンセリングへ行った後だった。
その日は解決へ向かうどころか余計にこじれるような話ばかりで、頭が痛かった。

私の気持ちを少しでもまぎらわせようと、楽しい話をたくさん連絡してくれていることはわかっている。
それでも、いつも楽しそうな話を聞くのが辛かった。
カウンセリング後は特に辛くなって、遊園地の連絡がどうしても受け止められなかった。

私は連絡を無視した。

この8年、彼女は彼とのトラブルに何度も介入してくれた。
彼女もメンタルの不安定な時があったし、複雑な思いもたくさん感じてきた子だったので、
彼の気持ちも分かるところがあるらしく、どちらのことも心配してくれていた。

でも、私は彼の味方なんてしてほしくなかった。
私だけの味方でいてほしかった。

それが叶わなかったとき、私は彼女を突き放した。
ある事件をきっかけに連絡を取ることも会うこともやめた。

今思い出しても最低だなと思う。
そのあとしばらくしてから、彼女には謝った。
彼女は許してくれた。また会えることを喜んでくれた。
そして、今も私の話を聞いてくれている。

それなのに私はまた、彼女の連絡をイヤだと思っている。
距離を置こうとしている。

誰かの幸せを願うことも、一緒に喜びを分かち合うこともできない。
あの頃と結局なにも変わっていない自分が心底イヤになる。

ふと、アサーションのことを思い出した。
相手を尊重しながら、自分の気持ちもちゃんと伝える方法。
私はそれを学んだんじゃなかっただろうか?

今まで「こんな心がせまいやつはダメだ」と自分の心を無視して、攻めてばかりだったから辛くなった。
でも、善意をすべて受け取る必要はない。
自分がイヤだ、と思った気持ちは受け止めていいのだった。

同じことを繰り返さないためにも、彼女に自分の気持ちを伝えてみることにした。

元気づけてあげたい、という彼女の気持ちに感謝している。
ただ、今はその元気を受け取れない状態です。
その2つを伝えればいい。

それでもたくさん考えて文章を作った。
どうしたって気にさせてしまう。

でも私が連絡するのは、また彼女から離れないようにするためだ。
だからできるだけ正しく、丁寧に伝えたかった。

あなたと距離を置きたいのではない。
おだやかに、あなたの楽しい話を聞けるまで少し時間をください。

彼女は、自分にも同じようなときがあったのに無神経でごめんね、と連絡をくれた。
そうなることは分かっていたし、謝る以外の方法を私は思いつかない。

私は伝えられたこと、それを受け入れてもらえたことで、
彼女への感謝の気持ちがもっと強くなった。

彼と話が噛み合わずに、まったく気持ちが届かずに自信をなくしているから、話が通じることもすごく嬉しかった。

だからこそ、謝罪することなど何もないのだと何度も伝えた。
同じことを繰り返したくないからこそ、ポジティブな理由で連絡したんだ、と伝えると、彼女は安心してくれた。

思えば昔私が避けてしまった行動は、
自分自身がパニックであることも認められていなかったし、
自分の心の整理もついていないのに、
彼女には「わかってほしい」という気持ちを押し付けてしまった結果だったと思う。
分かってもらえないから、避けた。
これ以上自分が傷つきたくないから避けたんだ。

でも、人に分かってもらうなんて無理なのだ。
そう分かっていたはずなのに、求めている時点で本当はちゃんと理解できていなかった。

元気のない人に「頑張って」と言わないようにしましょう。
元気づけようと遊びに誘うのは慎重に。

などなど、対応方法みたいなものはたくさん収集できる。
でも、いざとなったら人はそんなこと忘れて、大切な人を元気にしてあげたい、励ましてあげたい、という思いが先行してしまうときもあるのだと思う。

それは励ました人が悪いわけでも、それによって傷ついた元気のない人が悪いわけでもない。

そもそも誰かを悪いと思うと余計に辛い。
明らかな悪意じゃない限り、誰にでも思いがあるし、
悪意を向けてくる人にだって、自分でも気づいていない理由があるのだろう。

だからこそ大事なのは、ひとつひとつの出来事に自分がどう思うのか、なぜそう思うのかを言語化できるかどうかだと思う。

私は自分の不快な気持ちを伝えるのが苦手で、近しい人には態度で表してきた。

でも、今まで出会ってきた人たちで自分の不快な気持ちをうまく伝えられる人は少なかったと思う。
みんな下手くそなのだ。

だからこそアサーションは難しい。
今回のように伝えても分かってもらえない時もあるかもしれない。
相手が自分の気持ちをうまく伝えられるとも限らない。

特に近しい人たちは「分かってくれる」と無意識に思ってしまう。
お互いが分かってほしいからこそ、分かり合えない。
コミュニケーションは本当に難しい。

それでも、相手を信頼しようと思ったら、やっぱり自分の気持ちは伝えた方が良いのだと思う。
私がどんなものが好きで、どんなことがイヤな気持ちになるか、今どんな気持ちか、
そんなこと、自分でだって分からないことが多いのだから、他人に分かるわけないのだ。

本来コミュニケーションなんて面倒くさいのだ。
それを簡略化しようとするから、攻撃的になったり、言うのをあきらめて態度にだしたりしてしまう。

私にはまだ分からない世界だけど、
もしかしたらきちんと言葉にしていくことで、伝わる人たちに出会い、
自分が生きやすい場所で生活できるようになるのではないか。

そうだとしたら、絶対に面倒くさがってはいけない。

嫌われてもいいという覚悟を持て。
言葉だけだと怖すぎて、そんな覚悟持てない。

なんかこの言葉で、「嫌われてもいいから言いたいこと言ってやる!」
と、攻撃的になる人だっていてもおかしくないなと思う。

そうじゃなくて、私は私の気持ちを伝えた。
相手を傷つけるかもしれないけど、そこは最大限の配慮をした。
それでも嫌われてしまった時は、「仕方ない」と思えるんじゃないかと思った。
覚悟っていうのは持つものじゃなくて、そうやって自然とついてくるものなのかもしれない。

今回、私がちゃんと伝えたのは、彼女のことが大切だったからだ。
大切だからこそ伝えた。
信頼していたからこそ、安心して伝えられた。
それがもし伝わらずに、彼女に嫌われてしまった時、
それはもう距離を取り、時期が来るのを待つしかないのだと思う。

私は今、彼とはまったくうまくコミュニケーションが取れていないけれど、
もう長い間ズレていたし、しょうがないと思う。
できることを全部やったら、どこかで納得できる日が来る気がする。
そんな予兆がすでに見えている。
昨日の彼女に話が伝わった時に、確かに手応えを感じた。
ダメな自分でも、ここまでよく向き合ってきたなと思って、ちょっとだけ褒めたくなった。

大切な人がいるなら、その人には嘘をつかずに伝えた方が良い。
そのためには、自分の心をよく見て、聞いて、受け入れてあげてほしい。

あなたの気持ちに、私の気持ちに、
思ってはいけない感情などひとつもない。
自分がそれを認めてあげられれば、少し落ち着いて言葉にすることもできるだろう。
面倒だけど付き合っていこう。
面倒だけど、伝えることをやっていこう。

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ぴょこ@自分の気持ちを言葉にする
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