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『母という呪縛 娘という牢獄』の読書日記。とんでもない絶望感を感じさせる衝撃作でした。

今回は、齊藤彩さんの『母という呪縛 娘という牢獄』の読書日記です。

「モンスターを倒した。これで一安心だ。」母を殺害した娘の背景に迫るノンフィクション。
夜寝る前に読み始めたら、とんでもない絶望感を感じさせる衝撃作で、寝れなくなり一気読みしました。


【どの家庭でも、どの職場でも起こり得る】

本書に記載されている母娘のやり取りは読んでるだけで心苦しい。
内容としては決して他人事ではなく、家庭でも職場でもいたるところで起こり得るものだと思います。

「何回も教えてあげているのに、どうして覚えられないの?」何で、どうして、と聞かれても、分からない。苦しい。怖い。嫌だ。

「どうしてあかちゃんはそんな当たり前のことができないの!?」どうして、と詰問されても、分からない。ひたすら泣いて謝るしかない。

母の罵声は、「詰問」「罵倒」「命令」「蒸し返し」「脅迫」など、いくつかのパターンがあった。暴風雨のようなその怒声の前に、いつも立ちすくむほかなかった。

内心「嫌だ、通いたくない」と思いながらも「医学科合格のために行かせて下さい」と懇願するしか選択肢はない。母は「娘が、通うと意思決定した」と捉え、私は「母に、通うと意思決定された」と恨む。


【どうすればよかったのか?正解はあったのか?】

娘は何度も逃げ出すけど、経済力もないし逃げきれずに、また元通りになってしまう。娘側に感情移入して読み進めたのもありますが、まずは母親側のメンタルモデル・固定観念をどうにかしないといけなかったのかなと思いました。

先日読んだ『ザ・メンタルモデル』でのタイプ分類と照らし合わせて考えてみました。
母親がどのモデルに該当するかは絞り込めなかったのですが、いずれのタイプだったとしても、

  • 他人や世間に委ねていた承認を自分で自分の価値を認める自己承認

  • 愛は行為じゃなくていつもあるという無条件の自己愛

  • 人間は欠けているところがあってもデコボコのままで完全

といった世界観が必要だったと思います。
上記のように何が必要だったのかはわかったとしても、それに向けての具体的な行動は実に難しく、結局どうすればよかったのかの具体的かつ効果的な解決策は持っていません…。
母親自身が悩んでいたのか、変わりたい変えたいと思っていたのかわかりませんし、どうすれば母親に自発的な変化を促せるか、、、、本当に難しいところです。


「コントロールできない他人や、社会・世間の評価に執着するのはよくない。」
「ありのままの自分や家族を愛する。」
言葉ではわかっていても自分自身ですら完全に身体に染み付いてないのに、ましてや他人に促すのはもっと難しく、なんともやりきれない気持ちになってしまいます。


このような複雑な気持ちになってしまう本ですが、自分がどうありたいかを考えるきっかけを与えてくれる本でした。 多くの人が知っておくべき事件であり、多くの人に読んでほしい本でした。


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