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銀座四丁目の地下街で見たエログロカオスのなれの果て

先日、映画にまつわる思い出をテーマに真面目な記事を書いた。
記憶を辿っていく中でもう一つ思い出した映画にまつわる思い出があるので、今日はそちらについてあっさり綴ってみたいと思う。


母は銀座の女だった――なんて書き方をすると格好いいけれど、銀座の商業施設で働く女性だったが正解である。
私を産む前には専業主婦になっていた。しかし、元職場仲間の多くが銀座で働いていたということもあって、”ちょっとお出かけ”となると私の手を引いて銀座へ繰り出すことが多かった。
あっちにうろうろ、こっちにうろうろ。
銀座三越の方面からギンザコアビルの方面へ向かうとき、あるいはその逆を行くとき。母はいつもある地下街を使って銀座の街をショートカットして歩いていた。
それが私のもう一つの映画の思い出、「銀座シネパトス」である。
銀座四丁目三原橋の地下にあったその地下街には、小さなスクリーンが3つほど並んでいたらしい。
らしい――と付くのは私がその劇場内には入ったことがないからだ。
察しの良い方は「子どもの思い出に出てくる映画館ではないだろ」と訝しんだり、あるいは「あそこはねぇ……」とニヤニヤしているかもしれない。
それもそのはずである。だってあそこはピンク映画も堂々と上映していた、所謂”大人向け”の映画館であったのだから。

一度もその中に入ったことがないのに、私の記憶は鮮明だ。
明らかに怪しい雰囲気の薄暗い地下通り。
入口(あるいは出口?)には半裸だったり全裸だったり、あるいは和服を着ていてもなんとなくなまめかしい姿をしている女性のポスターが堂々と貼られていて。
少し歩けば飲食店や床屋さんなんかもあったらしいのだけれど、最初に目に飛び込んでくるピンク映画のチラシの効果は絶大だった。お陰様で映画館以外のお店の記憶はあまり残っていない。
調べてみたらホラーとかBC級映画も上映していたようだ。
いずれにしたって普段お目に掛かることのない、エログロカオスが入り交じった子どもに有害なポスターしか貼っていなかったことは間違いない。
同年代の女性の二倍くらいの速さで歩く母に手を引かれながら、なんとなく気まずい気分でその地下街を歩く。
子供心に「これはなんの映画なの?」と聞いてはいけない雰囲気を全身でひしひしと感じていた。今でも鮮明に思い出せるくらいだから、母がその通りを通過したのは一度や二度じゃないだろう。
今よりは性に寛容だった数十年前とは言え、絶対に子どもが気軽に彷徨いて良い場所ではなかった。
今でも残る性に寛容な街と言えば新宿・鶯谷・錦糸町なんかを思い出すが、それらの場所には銀座シネパトスにあった退廃的な雰囲気や、ねっとりと背後から纏わり付くような陰鬱な空気はない気がする。
やっぱり特殊な場所だった。

この場所も今ではすっかり綺麗になっている。
まるで「そこにそんないかがわしいものがあったことなどありません!」とでも主張するかのように、綺麗に整備されてしまった。
かつて怪しい地下街への入口があった近くには、今では綺麗なベンチとミスト発生装置がある。うだるような暑い夏の日には冷たいミストを浴びながら休憩が出来る、ちょっとした憩いの場になったのだ。
憩いの場所である――という意味では、ある意味今も昔も変わらない?
その光景が街の景観としては好ましいと知りつつも少々寂しいと感じてしまうのは、母から知らず知らずのうちに受けてしまった「エログロカオスに寛容たれ」という英才教育の賜だろうか。
あっさり……と言いながらそれなりに長くなったので、最後は母親への文句で締めることにしたい。

あのさぁ……、私もあなたに似てせっかちだから時短したかった気持ちは凄くよく分かるけど、流石にあんないかがわしい通りを子ども連れで歩くのはよろしくないんじゃないの?
子どもって意外とそういうの分かってるからね!?
(世の中のお父さんお母さん、気をつけてください。)

#映画にまつわる思い出

ところで、真面目に書いた記事はこちらです↓

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