ひとりコント
沖縄から戻った私は、久しぶりにこう感じていた。
ああ、現実世界に、まだ戻りたくないな・・・
それだけ沖縄での体験は、日常から解き放たれ、非現実的で、心地がよくて、心から自由を満喫できた時間でもあったのだ。
美味しいものを食べ、昼間からオリオンビールを飲み、普段は行けないような場所で特別な体験をして、気のおけない仲間たちと心地よい距離感を感じながら、精神的、肉体的な自由を満喫する。
ホテルの宿泊棟から歩いて数分のところにあるプライベートビーチは、真っ白できめ細かな砂の感触が心地よくて。
早朝、砂浜で思う存分寝そべったり、太極拳をやったり、ぼーっとただ海を眺めたり。
そんな生活から現実世界へ戻り、zoomでいつも通り打ち合わせをしたり、ボランティアでイベントのお手伝いに参加したり、書きかけの原稿に向き合ったり、、、そんな日常が、私が好んで選んできたはずの、とびっきりの日常が、なんだか色褪せて見えてしまったのは事実だった。
ああ、もう少し、この旅の余韻にひたっていたい・・・まだ左脳は動かしたくない。
・・・そんな私の願いを、神様は見逃さなかった。
沖縄から東京へ戻った数日後、私は久しぶりに高熱を出した。
そもそも旅行前から若干咳は出ていたし、ちょっとした風邪だろうと、たかを括っていた。事実、高熱を出した翌日には一旦平熱に下がり、やっぱりね、と思っていた矢先に、今度は息子が発熱。
そして翌日、再び私も発熱。
あれ。
なんか、これ、普通の風邪とちゃうんかな?
微熱になった数日後、以前、東京都から取り寄せたコロナの抗体検査キットで恐る恐る検査をしてみると、「C」と「T」の位置に、くっきりと2本の線が浮かび上がる。
めでたくコロナ陽性が確定した瞬間。
ああ、やっちまった・・・
熱が出る前日にはスタッフとしてイベントに参加していたり、今回は完全なとばっちりを受けた息子は、アルバイトをまるまる1週間休むはめになったり、私の中でいろいろな妄想と後悔が膨らみ、猛烈な罪悪感が心の中を吹き荒れていた。
自分が加害者になる、という感覚に胸のあたりに悶々と燻るものを感じながら、楽観的な状況を想像し、自分は悪くないのではないか、と必死になって言い聞かせてみたり。
私以上の高熱でだるそうにベッドに伏せる息子の冷えピタを変えたり、氷枕を何度も作り直したりしながら、罪滅ぼしもかねて甲斐甲斐しく看護してみたり。
この1週間のロスタイムのために、仕事関連でもリスケをお願いしたり、締め切りを伸ばしていただいたりして周りにも迷惑をかけたことに対し、なんとかリカバリーをせねばと、気持ちは焦りつつも、なぜか心も体も以前のように「GO!!」と動けない自分に鞭打ったり、いやいや、今はゆっくり休むべきだと言ってみたり。
「脚本・演出・主演:わたし」の一人コントは、あーでもない、こーでもないと1週間ほど続き、ようやっと我が家も平常運転に戻った本日。
お昼ご飯を食べながら、息子が見ていた映画に、わたしは釘付けとなってしまった。
テロリストの暗殺に失敗したアメリカのスナイパーが、逃走中に地雷が埋まっているエリアに迷い込み、片足で地雷を踏んでしまう。足を離せば、ドッカーン。身動きが取れなくなった彼は、その場に同じ姿勢で跪き、自分との戦いを強いられながら52時間を絶え抜く、というストーリー。
(ネタバレありなので、ご注意)
種明かしをすれば、彼は地雷など踏んではいなかった。
しかし、自分が踏んだのが地雷だと思い込み、跪いた足を動かすことができず、食料も水もつき、夜は夜で砂嵐や狼に襲われる中で、精神的にどんどん追い詰められ、心身に異常をきたしていく。
映画自体はシリアスなタッチで、緊迫感のあるシーンが続くのだが、息子から先にこの映画のオチを聞いてしまった私には、途中からこの映画が壮大なひとりコントにしか見えなくなっていた。
面白かったのは、砂漠の原住民のおじいさんと、主人公の兵士のやりとり。
おじいさんが何度も彼のところにやってきては、水をくれたり、無線機をとってきてくれたりと、彼を気に掛ける中で、
「自由になれ。お前自身が一歩、足を踏み出す勇気さえあれば、自由になれるんだ」
というような言葉をかけるシーンがあるのだが、地雷を踏んでいると思い込んでいる兵士は、「何言ってんだコイツ」という態度で、そんなことできるわけがない、と答える。
そりゃそうである。
本人は地雷を踏んでいる、と思い込んでいるわけで、足を動かす、ということは、手足がもげる、一歩間違えれば死をも意味する行為なのだから。
このおじいさんと兵士のやりとりを見ながら、私はちょっとぞっとしてしまったのだ。
私の人生の中で、似たようなシーンって、実はけっこうあったんじゃなかろうか。
自分では致命的、これやったらもう絶対死ぬ!だから絶対できない😭って思っていたけれど、実は致命傷どころか、やったところで痛くも痒くもない出来事だったりして。
でも本人は思い詰めて、「これ以外の選択肢はないっ」と思い込み、他人のアドバイスに耳を貸そうとすらしない。
いやはや。
壮大な一人コントである。
結果としてこの映画の主人公は、葛藤の末、自らの意思で地雷と思い込んでいたモノの上から足を動かし、そこへ救助隊がやってきて、めでたしめでたし、というハッピーエンドの結末を迎える。
この映画を見終わった後、1週間にわたる「コロナ一人コント」を終えたばかりのわたしは、自分の身をはたと振り返った。
私の右足は、実はまだ地雷の上に置かれたままではないだろうか。
自分の思い込みや視野の狭さにがんじがらめになり、自分で自分の動きを封じてやしないだろうか。
本当は、もっと自由に生きられるのではないだろうか。
もっと自由に、生きて良いのではないだろうか。
久しぶりにnoteにこうして記事を書くことが、私にとって自由への一歩なのかもしれない。