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「断る理由なし」の流れに身を任せる人生からの卒業、自分と向き合い選びとった先にある未来へ〜星野光子さん〜

2021年12月某日。
年末も差し迫る、忙しい師走の真っ只中。
私は、仙台にある素敵なトリートメントサロンで心も体もフニャフニャにトロけ、ゆるんでいました☺️

星野光子ほしのみつこさんが開いているトリートメントサロン「蓮の家」は、仙台駅から地下鉄で10分、台原だいのはらという場所にあります。

雪がしんしんと降りそそぐ寒い日、真っ白な絨毯に覆われた石段をそろり、そろりと昇り、クリーム色の可愛らしい木の扉を開けると、そこに広がる「癒しの空間」。

玄関には素敵なアンティークのストーブ。
入り口にある「HASUNOIE」と書かれた、可愛らしい小さなおうちのオブジェ。
ほっこりと暖まったお部屋に入ると、くまちゃんのゆたんぽ🧸がお出迎え。
ホーリーバジルのお茶をいただきながら、アロマオイルのほのかな香りが漂う足湯につかって、ほぉーっ、と一息。
この時点でもう、既にノックアウト状態。

極楽じゃ。極楽以外のなにものでもないですわ😚

そしてはじまる、光子さんの魔法のようなアロマオイルのマッサージ。
背中、肩、腰、足、腕、デコルテ。
あたたかいてのひらと、アロマオイルの滑らかな感触。
鼻腔から全身へと行き渡る、心も身体もとろける豊かな香り。
光子さんの優しい呼吸と声の誘導で、自分の骨や筋肉が、ゆるゆると緩んでいくのを感じながら、「もうアタシ、帰りとうない・・・🥺」と心の中で一人呟く極上の一時。

そして「癒しの時間」はこれで終わりではありません☺️

マッサージの後は、光子さんが心をこめて作ってくださったマクロビオティックをベースにした身体に優しいご飯🍚が待っています。

1日1名だけが味わえる、最高の癒し&おもてなしの空間。

お母さんとして、働く女性として、自分を顧みずに日々の生活に追われ、がんばりすぎている女性たちを癒してくれる素敵なトリートメントサロン。
そこは、さまざまな人生を経験して自らの道を選びとってきたオーナーである星野光子さんの、優しさと極上のホスピタリティで溢れていました😌

星野光子さんは宮城県、仙台市の生まれ。

☘️トリートメントサロン「蓮の家」のオーナーであり、
☘️障害を持つ青年たちの学びの場「きおっちょら」の支援員として働くかたわら、
☘️「きとつちアンサンブル」という「大人の部活」を立ち上げて気の合う仲間たちとゆるい繋がりを楽しみながらワクワクすることを全力で追いかける、

アクティブで魅力あふれる、とっっても素敵な女性なのです🥰

お母様の勧めもあり、小さい頃からピアノを習っていた彼女が最初に就いた仕事は、中学校の音楽の教員でした。

その彼女がなぜ、今の生き方を選ぶことになったのか。
彼女の人生に何が起きたのか。

その秘密を一つずつ紐解いていくと、全てが「ある一点」にむかって、導かれているように感じます。

明確に断る理由がないゆえに、音楽も、仕事も、結婚も、なんとなく流れのままに揺蕩たゆたい続けた今までの人生。
自分で選んだようでいて、選んでいなかった人生だったと、光子さんは振り返ります。
そして、それが普通だと思っていた彼女は、いろいろな出来事を通して、「本当にやりたいこと」をずっと我慢して生きてきた自分と、自ずと向き合うことになったのです。

心と体のバランスを失った特別支援学校の教員時代

そのことを身に染みて実感したのが、特別支援学校の教員時代に患った心の病でした。先生としての仕事にやりがいもあり、やる気に満ち溢れていたにも関わらず、「学校に行きたくても行けない」という状況に陥ります。

中学校の音楽の教員から特別支援学校の教員に異動した光子さんは、数字で評価をするのではなく、様々な障害を持つ子供たち一人一人に寄り添い、その子供たちをじっくりと観察しながらよいところを伸ばしていく支援学校の教員の仕事に、大きなやりがいを感じていました。

しかし、生徒たち一人一人へのきめ細やかな指導と対応を求められる、現場の膨大な仕事量に加え、家庭では二児の母としてせわしなく息子達と向き合う日々。

職場でも家庭でも休みなくフル回転で過ごしているうちに、ついに体が悲鳴を上げ、ある年の9月、ひどい蕁麻疹のため入院することに。

なんとか体調を整えても、次から次へと、また別の症状にさいなまれ続ける光子さんの心と身体。
そんな状況の中でも、「体を休め、体力がつけば、きっと治る。とにかく早く学校に戻らなくては」という一心で、自分の身体の声をねじ伏せ、長引く体調不良と戦いながら、休んだり復帰したりを繰り返す辛い日々が続きました。

穂高養生園との出会い

そんな時に通い始めたのが穂高養生園というリトリート施設
穂高養生園は、長野県安曇野市にある施設で、「体にやさしい食事・ヨーガや散歩などの適度な運動・心身の深いリラックス」の観点に着目し、誰もが備わっている人間本来の自然治癒力を高めることに焦点をおいた宿泊施設
マクロビオティックをベースにした、心と身体に優しいご飯が食べられるのも、その特徴の一つです。(穂高養生園についてはコチラの記事をご覧ください)

以前に聞いたラジオ番組で穂高養生園の存在を知り、いつか行ってみたいと思っていた光子さん。
心身ともに疲労が溜まっていた状態をなんとかしたい、という思いから、定期的に穂高養生園を訪れ、自分の心と身体に向き合う時間を作るようになります。
穂高養生園はそんな彼女を迎え入れ、疲れきった心と身体優しく包み込み、癒してくれる場所でした。

そしてある日、彼女の中でふと、「もういい。もう自分は十分頑張った!」と思える瞬間がくるのです。

まずは自分の健康が大事。
薬を飲みながら、働くために生きているのはおかしい。

心からそう腑に落ちた光子さんは、支援学校の教員をやめる決心をします。
そしてその数年後には離婚も決意。

早期退職、そして離婚。

この2つの大きな決断に至るまでには、自問自答を繰り返し、悩んで、悩んで、悩み抜いた苦しい時間がありました。

今振り返るとこの時間は、

「自分にとって何が大切か、自分はどう生きたいのか」

という問いと向き合う、大切な期間でもあったのです。

そして光子さんの大きな決断を後押ししてくれたのは、穂高養生園の存在だけではありませんでした。

▶ 穂高養生園で過ごした時間
▶「片付けの魔法」で断捨離を実践したこと
▶ オーラソーマのコンサルテーションを受けたこと
▶ 泉谷閑示先生の本

この4つが、彼女の決断を促し、「自分が本当に大切にしたいことは何か」を教えてくれた大きな出来事だったと言います。

さらにそれ以外にも、光子さんのことを心から心配し、優しく寄り添ってくれた周りの人達の存在、そして、「もう無理だよ!早く気づいて!」と何度も声を枯らして叫び続けたご自身の身体からの切実なメッセージが、その背景にはあったのです。

アロマセラピーとの出会い

支援学校の教員をやめると、途端に薬も減り、徐々に回復の兆しをみせるようになっていった光子さんの心と身体。
そんな時に、仙台でアロマトリートメントの施術を受けることに。
当初は「施術をする側」には全く興味がなく、自分が癒されるために通っていたアロマトリートメントでしたが、そこでよい先生とめぐり逢い、アロマの勉強を始めます。
ほどなく、モニターを募集し、マンションの一室で小さなサロンを始めた光子さん。

実はこの時に感じた「あるインスピレーション」により、蓮の家は誕生するのです。

マンションの壁にかかっていた一枚のカレンダーの絵。
そこに描かれていた3枚のガラス窓が連なった木の扉。
その扉の絵と、ご実家にある木の扉がピピピッと繋がった瞬間。

実家でサロンを開けばいいんじゃない?
あの部屋を改装して・・・。
あ、いい、いい!それ、いい!

本当にやりたいことを自分で選び、楽しんでいる時に感じる「何かと繋がる」感覚。
光子さんはこの後も、ご自分の気持ちに従って選択をしていく中で、何度かそんな不思議な体験をする瞬間に出会います。

大人の部活「きとつちアンサンブル」

教員の仕事を辞めてから出会った人達と一緒にはじめた大人の部活、「きとつちアンサンブル」。

「きとつちアンサンブル」の名前の由来は、「木と土アンサンブル」。
で作られたリコーダーと、を焼いて作ったオカリナを演奏するのが大好きな仲間達が集まって始まったこの活動は、今では20名以上の女性たちを繋げ、やりたいことをとことん楽しむ、よい循環を産むコミュニティとなっています。

「きとつちアンサンブル」には、販売部門、演奏部門、ファスティングを広める食部門、羊毛フェルトなどを手がける手作り部門など、さまざまな部門がありました。まるで会社の事業部のようですね😌

そして、ここに集まるメンバーは、ママ友でも、職場の友達でもない、見えないご縁で結ばれた仲間たち。
「きとつちアンサンブル」という名の下に繋がっている、不思議な関係だと、光子さんは言います。

そこには、同じアンテナを持つ人間を呼び寄せ、いち早くキャッチする光子さんの特技ともいえる能力があるのではないかと、私は密かに思っています(実は、私もそんな能力に呼び寄せられた一人なのかも!?笑)

「きとつちアンサンブル」のモットーは、

やりたい時にやりたいことを
やりたい人がやれることをやりましょう

というもの。
実に素敵な考え方じゃありませんか?

そこには強制や「すべきこと」は一つもなく、やりたいこと、ワクワクがどんどんと伝染し、広がっていく不思議な魅力に満ちた世界

約3年の間、みんなでワイワイと楽しみながら続けた「きとつちアンサンブル」の活動は、徐々に変化、進化を遂げていきます。
「みんなで楽しむ」活動から、それぞれが独立し、さらにやりたいことを広げていく形へと変わっていったのです。

「きとつちアンサンブル主催」だったことを、そこに携わった仲間たち一人一人が主催していく形への進化

塩セミナーやファスティングセミナー、羊毛ワークショップや演奏活動。
そこには今、「きとつちアンサンブル」の名前は出てきませんが、「きとつちアンサンブル」という仲間で結ばれた、たくさんの人達との繋がりが確かに存在し、今もそのご縁は脈々と続いているのです。

「きとつちアンサンブル」のこのような変化の背景には、コロナ禍で集まり難くなった現状も、少なからず影響しているのかもしれません。

しかし、また近い将来、「きとつちアンサンブル」として大勢で演奏活動をする日がきっとやって来る😆と、感じているという光子さん。

リコーダーやオカリナ、カリンバの奏でる素敵な生演奏を聴くことができる日も、そう遠くはないのかもしれません😌

時には抗いようのない状況に直面しながら、環境や仲間達のやりたいことに応じて柔軟な変化を遂げてきた「きとつちアンサンブル」。
その中で、みんなで知恵出し合って世に送り出した「デトックススコーン」の活動は今も健在です☺️

たくさんの人たちをつなげてきた不思議な力を持つこのスコーンが、大きな鍵を握っている気がする、という光子さん。

デトックススコーンとは、「スーパーデトックスフード」と言われる焙煎玄米粉を使って焼いた、小さなスコーンのこと。
卵、乳製品を使用していないために、アレルギーが気になるお子様や、「デトックス」に敏感な大人女子にも大人気のスコーンです🥰

このスコーンを販売することを思い立ったのは、「きとつちアンサンブル」の仲間でした。
「大人の部活」のノリで、販売許可を取るための様々な壁をクリアし、地元のオーガニックマーケットでの出店などを経て、現在では仙台市内にある人気のカフェ2店舗で、このスコーンを販売しています。

さらに、2021年には夏と冬の2回、「デトックススコーン祭り」と称して、作り方のデモンストレーションをしながら実演販売をするイベントにチャレンジ。
仙台市内にあるシェアキッチンやイベントスペースを貸してくれるTNERトナーさんのお力を借りて、大賑わいのイベントとなりました。

そして、このイベントでつながる、不思議なご縁。

このスコーンを探していたんです!」というファンの方がこのイベントをわざわざ探して訪れ、沢山のスコーンを「大人買い」する場面もありました。
また、以前開いたデトックススコーン教室に参加してくれた方がスコーンを買いに来てくれたりと、ご縁を呼び寄せる不思議な力のあるデトックススコーン。

君には、何か人を惹きつけるステキな魅力があるのかい?

思わず、そうスコーンに話しかけた光子さん。
今では「なにかにスコーンを作らされている」感覚を感じることもあるといいます。

ミラクル続きのデトックススコーン。
これから先、どんなご縁を、どんな繋がりを広げてくれるのか、楽しみな存在ですね☺️

「きおっちょら」の愛しい青年たち

蓮の家、きとつちアンサンブルともう一つ、光子さんにとって欠かせない現在の柱が、「きおっちょら」という障害を持つ青年たちを受け入れる「学びの場」に支援員として携わる仕事

皆さん、ご存知でしたか?

通常、高校を卒業すると、専門学校や短大、大学へと進み、そこで青春を謳歌した後、ワンクッション置いてから就職へと進むのが一般的です。
しかし、知的障害支援学校の高等部を卒業した障害の程度が軽い青年達のほとんどは、すぐに就労へと進みます

そのために、学校でも、放課後等ほうかごとうデイサービス(18歳までの障害のある子供達が放課後や夏休みなどに利用できる通所型の福祉サービス)でも、就職のための「訓練的」な時間を過ごしている青年たちが少なくありません。

そうして頑張って、背伸びをして、やっと就職が決まったものの、そこで疲れ果ててしまったり、うまく適応できず、やっと手にした仕事を辞めざるを得ない青年達が存在するという事実。

人間としての土台を作る大切な青年期に、なぜ彼らはこんなにも厳しい現実にさらされなければならないのか。

なぜ彼らだけがこんな思いをしなければならないのか。

そんな思いから、特別支援学校の高等部を卒業後、知的障害や精神障害を持つお子さんたちを受け入れる「学びの場」を作りたい、という熱意ある支援員の呼びかけにより、「きおっちょら」は作られました。

「きおっちょら」とは、イタリア語で「かたつむり」の意味。
その名前には、「ゆっくりといこうよ。自分探しをちゃんとしようよ。」という思いが込められています。

「きおっちょら」の発起人である佐久間 徹さんは、光子さんと同じ支援学校で働いていた元同僚。

彼の熱い思いに共感した光子さんは、支援員として障害を持つ青年たちと関わることを決めます。

過去の教員時代の苦しい経験から、闇雲に働き、自分をすり減らすことはもうしない、と誓った光子さん。
今回の仕事は、週3日、時間を決めて、自分のやりたいことも大切にしながら、青年たちの学びのサポートに関わろうと、自分の中で位置付けます。

きおっちょらの青年たちのことが本当に好きなんです☺️

そう言って優しく目を細める光子さんは、できることなら、きおっちょらを卒業した後、彼らの受け入れ先を作りたい、と話してくれました。

👉女性たちを癒すトリートメントハウス蓮の家。

👉ワクワクを楽しみながらたくさんの人とつながっていく「きとつちアンサンブル」の活動。

👉そして、きおっちょらを卒業した青年たちの受け入れ先。

一見、関連性がないように見える光子さんのこの3つの活動の行先は、実は1つなのかもしれません。

老若男女、障害のあるなしに関わらず、お互いが関わることで良い循環、新しい何かが生まれていく関係。
あらゆる壁をとりはらった「共存」できる新しいコミュニティの形。

そしてそこにあるのは、

⭐️我慢している人が一人もいない

⭐️けれども上手くまわっていく

⭐️みんなでハッピー

な世界。

さて、光子さんのこれから向かう先には何があるのか😆
続きは未来インタビューで❣️

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パーソナルライターおくやま・ふみ
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