交通誘導員さん
歩いていると工事中の道に出くわす事があります。
通っていいのか、それとも回り道をしたほうがいいのか迷っていると、交通誘導員さんが「どうぞー。」と笑顔で一言くれる。
こっちは聞こえるか聞こえないかの声で「すいません。」と言いながら、軽く会釈をして通る。
この「どうぞー。」が、この道は通れますよ、どうぞ通って下さいの意味を持つには、こっちが通っていいのか迷っている仕草を、交通誘導員さんが感じ取ってくれている必要があります。
なので見事に感じ取ってくれていて、それによってコミュニケーションが成立している。
本当なら「どうぞー。」の一言だけでは、言葉足らずですよね。
全部をしっかり伝えるとしたら、
「この道は通っていいのか、それとも回り道をしたほうがいいのか迷っていますか?」
「はい。」
「それなら通って大丈夫ですよ、どうぞお通りください。」
これくらいの言葉が必要なはずです。
このパターンのほうが、しっかり会話をしていて内容も分かりやすい。
でも味気ないですよね。
感覚的に嫌ですよね。人間味がないような気がしてしまう。
人として、心が通い合うコミュニケーションを取るのに必要なのは、言葉ではない。
説明しすぎるようであれば、言葉は邪魔。
言葉で説明しすぎると、「大事な何か」の入る隙が無くなってしまう。
「大事な何か」というのは、交通誘導員さんであれば、相手を気遣う目線であったり、親切心が溢れる笑顔だったり、安全なルートに誘導してくれるジェスチャー、こういう思いやりだと思います。
なぜだか伝わってくるんですよね。
だから言葉は「どうぞー。」だけでいい。
厳密には言葉足らずだけれども、この塩梅が人間味を醸し出してくれる。
交通誘導員さんとのあの瞬間が、なんだか好きなのは、言葉ではなく心でコミュニケーションを取れているからかも知れません。