[2021-06] デジタルエコノミーの罠
インターネットのトラフィックは、GAFAに集中していて、ユーザの情報の選択肢は、これらの企業に牛耳られているというような話。昔々のインターネットの人達は、インターネットとは自由な情報化、誰にでもデータを直接届けることができる(情報革命)が起きた。というような事を言っていた。けれども、今やインターネットのトラフィックはGAFAのようなクラウドを経由するものが大半になって、小さなメディア(この本の中ではアメリカの地方新聞・メディア)はそのクラウドによるアルゴリズムに太刀打ちできないようになっている。だから、カクカクシカジカの対応が必要だ~という話が続く。
確かにコンテンツという意味での情報伝達の仕組みは、End to Endではなく、クラウドによる集権的な伝達構造に変化していると思う。けれども、IPのような技術のレベルでは、中国のような規制を除けば、今でもEnd to Endの通信はまだ可能で、たとえば、在宅勤務などで会社のパソコンにリモート接続するなどは、自前で構築し利用することに制限はない。
そこで、コンテンツ流通について考えると、この本には書かれていないけれども、例えばトランプのTwitterアカウントが停止されたように、本来は法律で認められた自由や権利を私企業の価値観で(それが知性的な対応で賛成多数の対処であったとしても)制限されたり、改ざんされたりする情報収集の状態が、”健全性を損なっている”とは言えるように思う。これに反発があり、GAFAとは違う意見の集合としての(それは感情的で投げやりかもしれない)インターネット・フェイクニュースのような情報流通がサイロ化し、集団化し、凶暴化するような社会構造が実際にアメリカで体感された。そしてこの情報のサイロ化には党派性を帯びている。この情報流通のあり方について、なにかの介入が必要だと思えるし、なにかの介入で解決する問題でもないようにも思える。結局のところは、情報の発信者であって、受信者であるそれぞれの個人が、情報に対する対処の仕方、今後AI介入する情報選択のあり方など、記憶や情報による価値決定の意味について、意識的でなければならないというストレスへの処方箋が問われているように思う。
とかいっても、大半の人間にとって、そこまで気が回ることもなく、着実にコンピューターによる情報統制社会に突入するんだろうなぁと思います。
また、この本を読後感として、インターネットの情報のほとんどは、スポンサーによって支えられている、いわばテレビ局と同じ構造が進展していると感じた。価値の大きさではなく、独立性を維持した情報発信は今後有料配信化していくように思われた。こうして本を購入して読むようにインターネット上の必要情報について、これがEnd to Endで流通することは、インターネットの良さと言えるが、それらの情報に支払いをしていくか?問われているように思う。公共機関が図書館のような仕組みで支える仕組みがあってもよいかもしれない。