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奇跡だ(ご利益仏様編)
私が日常的に通っているのは、赤坂の豊川稲荷東京別院です。
稲荷、というのは愛称で、本当は「妙厳寺」という曹洞宗のお寺です。
豊川稲荷は曹洞宗のお寺です
なお、曹洞宗というと「永平寺」「坐禅」「道元禅師」を思い出すでしょう。曹洞宗は「○○派」などに分かれていないので、日本では一番信徒数やお寺の数が多い伝統仏教の宗派です。
ただ、道元さんが開いた永平寺系と、その後、曹洞宗の中興の祖といわれる瑩山さんが(ざっくり言うと総持寺系)いらっしゃいます。
曹洞宗が広まったのは、瑩山和尚が優秀な弟子をしっかり育てて、日本中に曹洞宗を広めたお陰なのだそうです。なので「中興の祖」なんですね。
総持寺も昔は永平寺の近くにありましたが、今は川崎の鶴見にあります。
かなりざっくりですが、道元禅師の教えは、厳しすぎて一般に広めるには?というところがあったのですが、瑩山禅師は「その地方や信者のニーズに応えていった」というところあるんです。
例えば東北地方は曹洞宗が多いですが、曹洞宗なのに念仏を唱える(巨大な数珠のようなものを回す)ところもあります。
そして、私の「マイ仏様」である、豊川荼枳尼眞天がいらっしゃる豊川稲荷や、永平寺、総持寺に次いで、曹洞宗では寺格が高い小田原の大雄山最乗寺(ここもいいですよ)は、いわゆる「ご祈祷系曹洞宗」です。
維新の際の神仏習合の分離政策から逃れ、神仏習合の雰囲気が伝わっています。
皆さん、曹洞宗というと「坐禅」だと思っていらっしゃる方が多く「ご祈祷系」というと「はて」というリアクションをする方もいるのですが、ご祈祷系曹洞宗、あります。
以前、愛知の豊川稲荷(妙厳寺)の本山に何度か行きました。
面白いなと思ったのは、曹洞宗のお寺なのに、お不動様がいらっしゃる。
これは、妙厳寺が元々は真言宗のお寺だったからなんだそうですね。
修善寺の「修禅寺」は、その名の通り曹洞宗のお寺です。
ただ、お寺のご開祖がお大師様(弘法大師空海)なのです。
近くの桂川には、孝行息子のためにお大師様が独鈷で温泉を出したという「独鈷の湯」があります。
なので、修禅寺は、曹洞宗のお寺なのに、お寺の中にお大師様がいらっしゃるというわけなんです。戦国時代に一度臨済宗になって、そこから曹洞宗になったようですね。
と、何だか長くなりましたが、今年の夏(2024年)小田原の最乗寺の夏期禅学会に参加した時の経験です。お坊さんにも聞いてみたのですが、曹洞宗のご本尊は、お釈迦様です。
赤坂の豊川稲荷東京別院も、手前の大きな建物の二階の大広間には、お釈迦様がいらっしゃいます。
一方、本堂の奥には荼枳尼眞天さんは勿論、七福神や愛染明王さんもいらっしゃいます。奥の院は荼枳尼眞天さんでしょう。
最乗寺では、朝のお勤め(朝課)があります。
これはご本尊に国家安寧を。
その後、奥の院で「ご祈祷」があります。こちらは、道了尊や、耳を澄ませていると、荼枳尼天、不動明王、三面大黒天さんなど、明王様や天部の仏様の名前を挙げており、唱えられたご真言は十一面観音のものでした。
これは、道了尊(最乗寺にいらっしゃる天狗様)は、十一面観音が、神様(道了尊さん)のお姿を借りて現れたという「本地仏」の話になります。
明治維新まで、日本は神仏習合の国でした。維新の際に、神仏は分けるべしということで、仏教はかなり迫害され、神仏習合はかなり追いやられたのですが、残っているところもあるのです。
それが大雄山最乗寺や、豊川稲荷のような「ご祈祷系曹洞宗」というのが
私の理解ですが、これはもう少し勉強したいと思います。
これは政治的な意味ですが、江戸時代が長く続いた理由の一つに、お寺の存在があったのです。これはお師僧様の受け売りですが、東京の三田付近には、伝統仏教系のお寺の「東京事務所」のようなお寺が集まっていました。
高野山東京別院は高輪、芝の増上寺(浄土宗)、池上本門寺(日蓮宗)、曹洞宗の宗務庁は現在芝にあります。大きな宗派の「東京事務所」的なお寺を幕府の近くに置かせ、そこから日本全国のお寺を管理していたわけです。
お寺では人別帳と言って戸籍的な記録もありました。
なので明治政府にとっては、「お寺=徳川」みたいな認識があったのでしょう。それを壊したいというのが明治政府ですね。
ただ、最初は「神仏習合」を禁止するようなものだったのが、過激な一派によって、お寺を焼き払うとか、仏像を焼くとか捨てるとか、海外にうっぱらうとか、そんなことがあったそうです。
曹洞宗のお寺でも、お経本を燃やされないように隠したとか、そういう話を聞いた事があります。
皆さんも大好きだと思いますが、興福寺の阿修羅像。興福寺の倉庫に積まれていたとか、明治のこの時に、腕が折れたという話もあります。
ものの本を読んでみると、仏像が捨てられたとか、海外に売られたとか大変なことがあったんですね。
長くなりましたが「豊川稲荷」は、曹洞宗のお寺です、というお話です。
こちら、お寺の歴史です。
密教のお寺でも荼枳尼天さんをお祀りしているところがありますが、白狐にのって、剣を担いでいらっしゃることが多いようです。
豊川の荼枳尼眞天さんは、白狐に乗って稲穂を担いでいらっしゃいます。
道元禅師のお弟子、寒巌義尹(かんがんぎいん)禅師が中国(宋)から帰る時、船の上に荼枳尼眞天さんがお姿をあらわした、という話が伝わっています。
私は東京の赤坂にずっとご縁があり、勤めていたこともある割には、何故過赤坂東京別院はノーマークだった上に、曹洞宗のお寺とは知りませんでした。
ただ、あるご縁で改めてお寺に伺ったところ、これはもう荼枳尼眞天さんを拝みたい!と思うように。
また、その頃丁度東京国際仏教塾で曹洞宗で在家得度、その後は春と秋の大般若講や、お経を読む勉強会(読誦会)に参加、月イチはかならずご挨拶、家では毎朝ご挨拶と読経などを続けています。
卒酒した
これは、自分でも「奇跡の一つであろう」思う出来事です。
嫌いな方ではなく、飲むと飲んじゃうタイプでしたが、ある時、密教のお坊さんが、例えば弁天様を拝む時、浴酒といって、お酒を弁天様にかけてご供養した後に、日本酒を飲んでも味がわからなくなった(つまり、自分は今後日本酒は飲まずに弁天様に供養します、ということ)を読み、私もそれでは、これから飲みませんが、ずっと荼枳尼眞天さんにお酒をご供養いたします、と、決めました。
それから5年くらい経ちますが、卒酒したままです。
最近は、ソバキュリアンという言葉も定着してきましたし、ノンアルのドリンクも増えてきました。
私もバッカスくらいは食べますが、鍋のお供はオールフリーとか、ノンアル飲料にしています。
スパークリングワインのノンアルなんかは結構美味しいですよ。
好きな人にやめろとは言いませんが(私もバッカスとラミーは食べる)
決めた日から卒酒しているので、こんなに簡単に卒酒できるとは思いませんでした。
これは、荼枳尼眞天さんに宣言したからということもあります。
これ、すごい御利益だと思っています。
仏教塾で真言宗の修行に行く
仏教を勉強していると、他の宗派にも興味が湧いてきます。私の場合、お大師様も好き(結縁灌頂も春秋受けた)だし、妙厳寺(豊川稲荷)も元々は真言宗のお寺だったんです。
というわけで、赤坂に行って奥の院にお参りしました。コロナ禍真っ最中で、奥の院には上がれず、外で読経した記憶があります。
「行っても良いのなら,学びのために真言宗の修行に行かせて下さい」とお伺いを立てました。
考えてみると、修行の費用とか全然考えてなかったんです。
そしたらですよ。
翌日、修行に必要な金額と経費の臨時収入があったんです。
勿論、行く前にはちゃんと豊川さんにご報告しました。
真言宗では得度はすることはありませんでしたが、密教がわかり、非常に勉強になりました。
護摩供用(護摩祈祷)の写真を撮らせていただいたり、真言宗の数珠さばきを習ったりというのは貴重な体験で、本当にありがたいと思っています。
言っとく。
これは2024年の8月の話になりますが、先の最乗寺の「夏期禅学会」に行く前に、赤坂の豊川に行って「小田原の最乗寺に行ってきます」と、ご報告したところ
「うん、言っとく」という声がアタマの中でしました。
これからもプチ奇跡をちょっとずつ書いていこうと思います。