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日々の心象を描いた色面構成とリフレクティブエッセイ

紫苑

人生の中で実らせた蕾が節目を迎える度に開くとしたら、私の大学4年間はどんな花が咲くだろう。

遅れて咲いていた一輪のクチナシの花を見て、私みたいだなと思った9月下旬、私は新潟にいた。しっかりしなきゃと思うほどに空回って、気づけば制作も生活も心も終わっていたところ、やっとの思いの帰省だった。
玄関の花瓶に挿された花束のようなコスモスが新しい季節をすぐそこに感じさせて、過ぎ去った夏を惜しむ間も与えてくれなかったのを覚えている。

そんな止まることのない時間の中で完全に止まっていた足、踏み出したいのに出せなかった第一歩。

ずっと何かを待っていた?
現実から目を背けていた?
自分にさえも逃げていた?

いいや、きっとそんなのは全部だった。

その全てを抱えてその場に留まっていた時の私はまるで季節に取り残されて咲いたクチナシで、季節に遅れるくらいならいっそ咲かなければよかったのにと思ったけど、その花も、私も、咲くことを簡単に諦めることができなかった。

私は己から何かを生み出す時、何かしらの痛みが伴うと思っている。
それは想像力の欠如だったり、心身をすり減らすことだったり、思考の停止だったり。
この様々な痛みがあってこそ、作品の誕生から完成が在るはずと思うのだけど、私の場合はこの痛みによって制作そのものの手が動かなくなってしまった。

4月、いよいよ卒業制作を始めるとなった時、私は密かにやる気に満ちていた。
それはなぜだったか?と言うと何だかんだこの4年間、無駄だったようなことも全ての出会いが今の自分になっていると実感していたからだ。
だからこそ、どんなものを制作するとなっても真摯に丁寧に作品とその時間と自分自身と向き合いたいという気持ちがとても強かった。
立派な作品を作ることよりも今の自分の断片を形に残したかった。
そんな思いを抱えながら、いざ制作を始めたが、手が止まることになってしまう瞬間は思ったよりも早く訪れた。

4月の構想段階で自分の存在意義や自我体験を作品の軸にしようと思っていたけれど、そこから自分は一体何をすべきなのか模索するも何も浮かばず、5月、6月とあっさり自分を見失った。
先も何も見えず焦燥に駆られていた7月は、必死にもがくも状況は変わることなく、結局そのまま中間講評、夏休みを迎え、気づいた頃には心と身体が乖離していた。
心と身体のバランスが上手くとれなくともどうにか現状打破しようとしていた8月と9月上旬は、本当にギリギリで、友人に会う度、ゼミに参加するたびに涙を流していたと思う。
24時間のほとんどをベットで過ごしたり、のっぺりした天井やカーテンから漏れる光をぼうっと見つめるだけの1日も増えていき、流石にもうだめだと思ったけどすぐには実家に帰れなかった。自分が不甲斐なくて情けなくて、逃げるようなんてことはもっとできなかったからだ。

しかし、そんな意地は家族に通用せず、不安定だった私に両親は心の準備ができたらいつでも帰ってこいと言ってくれた。自分に帰る場所が在るという安心を人生で初めて感じた瞬間だった。
そこからやっとの思いで新潟に帰ってからはしばらく頭を空にして過ごした。
久しぶりの母の手料理、自分の部屋の本棚に並ぶ数々の書籍、祖母が使う油絵の具の匂い、すぐそこにある波の音にとてつもない安堵を感じながら、半ば諦めの気持ちで自然と浮上してくる気持ちを待っていた。

そうやって少しずつ調子を取り戻しているところで祖母と2人で美術館に行った日があった。
その日はカフェでお昼を済ませてから展示を観て、帰りに小さな画材屋さんに寄った。何気ない気持ちだったけど、祖母の買い物ついでに葉書サイズのホワイトワトソン紙を買ってもらった。
あまり絵を描くことは得意ではないし、好きでもなかったけど、祖母がキャンバスに油絵の具を重ねている姿を見ていたら自分も描きたいなと思ったのがきっかけだった。

買ってもらったそのうちに描き始めはしなかったけど、その日が私にとって明確なスタートの日だったと今なら思える。

10月に入って最初の日、描きたいと思ってモチーフにしたのはクチナシの花。
一輪だけ遅れて咲いて可哀想だと思っていたその花を描いた。
花言葉は「とても幸せです」、「喜びを運ぶ」、「洗練」、「優雅」
描くことがなかったら知ることのなかった花言葉は今の私に何ひとつ似合わなかった。

その日から気の向くままに1日を葉書に閉じ込めることを始めてみたが、初めの方はどうにか1枚完成させることを最低限の目標にした。
何事にもこだわりがつくと少しずつ何かしらに負荷がかかる。
私の場合、それによってまた手が止まってしまうことを絶対に避けたかったから、下絵の線画が多少気に食わなくとも、少し塗りをはみ出してしまったとしても、その日の自分にしか描けなかったものと都合よく割り切って、失敗さえも受け入れるようにした。そうしたら案外手が止まることはなく、日に日に数が増えていったし、不思議なことに目に見える数字はその数が大きくなるほど私に安心感を与えてくれた。
そして、できなかった自分からできる自分に少しずつ近づいているような感覚を確かに感じていた。

実際に49枚描き終えた時、なんだやれば全然できたじゃないか!と思ったし、それと同時に今までの手の動かなさは一体なんだったのだ、と過去を疑った。
完成した絵を目の前に様々な思いが浮かんだが、自分の手の動かなかったことについて、私は自分自身に全く素直にならなかったなと思った。
きっと中途半端な自分を自分が一番わかっていたし、もう自分にがっかりしたくなかった。そんな「できない」自分を素直に認められなかったし、認めたくなかったから、手が動かなかったのかもしれない。いや、動かさなかった、のか。
そういった小さくて頑なな自尊心が自分の行く先をどんどん阻んでも、きっとそうやって無意識のうちに自分から自分を守っていたのだ。

自然と手が動く瞬間はとても些細な出来事がきっかけだったけれど、私が「できる」自分に出会えたその瞬間は「できない」自分を受け入れられた時だろう。
そのことにやっと気づけた今、空白の5ヵ月をもってこの作品を描けたこと、今の自分が在ることを素直に受け止めている。

4年間で実らせた蕾はちゃんと咲いただろうか?

もし咲くことができていたとするならば、
その花の花言葉は「追憶」、「思い出」、「君を忘れない」
突如失ったなんの変哲のない日常、
この場所で出会ったたくさんの瞬間、
そして「できなかった」今は亡きもう一人の自分。

この4年間にぴったりの花言葉を持つ、私と同じ名前の花。


これは2021年度の卒業研究で、49枚の色面構成を制作した際の過程を綴ったリフレクティブエッセイです。
リフレクティブエッセイとは、自分が経験したことを振り返り、そこから気づいたことを省察し、言語化したものです。


49枚の色面構成

何気ない毎日を過ごす中で印象に残ったことやもの、その瞬間の心象を抽象化し、
絵日記のような感覚で葉書に描き続けた。
エッセイで言っていたクチナシの花をモチーフにした絵は1番左上の作品。

サイズ:1396×1020
使用画材:ホワイトワトソン紙、アクリル絵の具


主旨文

私は今年の4月から卒業研究を進めていく上で自分の「出来なさ」にぶち当たり、手が動かせない日々を約5ヶ月間過ごし、実家に帰省してしまった。
そんな時、祖母が油絵を描いている姿を見たことをきっかけに、1日の中で印象的だったことを抽象化した色面構成を葉書サイズの紙に描き始めた。
些細なきっかけから手が動き始め、最終的に49 枚を描き上げた後、その作品と制作に呼応したリフレクティブエッセイを書いた。
リフレクティブエッセイでは、描き続けた日々や自分自身に対してどのような心情を持ち、そこから何を思い、何を学んだかを詩的に表現した。

全く動くことのなかった手が突然動くようになったのは、自分の手でしか描くことのできない絵から愛着を感じ、日に日に増えていく数に安心したからだ。
自分自身に「素直にならなかったこと」が、私の「出来なさ」を生んでいたのかもしれない。

最後に

私にとって49枚の色面構成とリフレクティブエッセイは呼応関係にあり、
2つで1つの作品になっています。

「手の動かなかった5ヶ月間」によって49枚の色面構成を生み出せたこと。
「色面構成が生まれたこと」によってリフレクティブエッセイが書けたこと。
そして、「リフレクティブエッセイが書けたこと」によって49枚の色面構成をより色濃く語ることができていると思っています。

ここまで見てくださり、ありがとうございました。

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