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無関心のススメ

以前より他人に無関心になったような気がする。
その大きな要因の一つとしてInstagramの使い方を変えたことが考えられる。
知り合いを多くフォローし、その人が今どこに行って、何を食べて、どんなことをしているのかといった情報が無意識に自分の目から大量に入ってきた。その入ってきた情報によって自分と比較し、精神的にあまり良くない時期もあった。完全に情報に溺れていた。

そんな時、「スマホ脳」を読んだ。人間の脳は新しいもの好きで、新しい情報が入ってくれば入ってくるほど快楽物質であるドーパミンが出るそうだ。
SNSからの新しい情報→脳がドーパミンを出す→脳がまた新たな情報を得ようとする→SNSを見る
この繰り返しである。
私は怖くなった。このたった数十年の間に脳がスマホに支配されているのだ。
電車に乗っている時、周りを見渡してみると、皆クローンのように目の前の電子機器とにらめっこしている。その光景に恐怖を感じる。
時間があると、無意識にスマホを見てしまうのだと思うし、私もその1人だった。

徐々に精神的に不安定になったところで、スマホの時間を読書に変えてみた。効果的面だった。最初は文字に抵抗があったものの、読み進めていくと最初の頃には考えられないスピードでサクサク読めるようになった。早く読もうというよりかは、物語の続きを早く知りたいというワクワクがある。自分のペースで、自分だけが本の世界に入って読むことができる。とても良い時間である。

そんなこんなで、自然とSNSは情報収集が目的になった。自分の好きなお笑いやファッション、カフェなどに限定してフォローするだけで、タイムラインには自分の得たい情報だけを得ることができる。本来はこのように使うのが正解なのでは、、?とまで思ってしまうが、使い方は人それぞれである。

SNSの使い方を変えてみてから、大きく変わったことがある。それは、他人にいい感じに興味を持たなくなったことである。自分には関係ない情報を絶ったことで他人の情報が一切入ってこない。だから、心がプラスになることも、マイナスになることもない。自分にとっては好影響だった。

しかし、他人に興味を持たなくなってから気づいたことがある。それは、この世には他人の不幸を願う人が一定数いることだ。それはおそらく、妬みや嫉みからくるものである。私も他人に無関心になる前は、自分と比較して劣等感を感じ、多少ばかり人の不幸を願ってしまったことがある。そのことに対して、また罪悪感を感じ、自己肯定感を下げた。自分と他人を比べた時に、自己肯定感を下げるのもあまりいいとは思わないが、それよりも、比べることで自己肯定感が上がるのは他人をどこかで傷つけている可能性があるとも思う。

他人の不幸を願う喜びは「シャーデンフロイデ」と呼ばれるそうだ。不安や生い立ちなど、さまざまな要因でこの感情を抱く。だが、この感情を抱くことは正常であり、一般的な感情であるという。自尊心が低く、自信がない人が抱きやすい感情である。

私もどちらかといえば、自尊心が低いため、意識はしていないがシャーデンフロイデを抱きやすい気質ではあるのかなと思う。このことは、自分の内面の感情と向き合うことでいくらかよくできると考えられている。自分の感情は白か黒かはっきりしないもので、移り変わりがあるとしっかり認めることができれば、罪悪感から解放されるのではないかと思う。

他人の不幸を喜ぶ人のことは気にせずに、自分がまず第一に幸せになれるような選択をしていきたいな。人生なんて楽しんでいいに決まってるんだからね〜

ちょっとキツめな内容になってしまいました。感情が動くままにばーーっと書いてしまいました。後々読み返してみて直すかもしれません。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。それでは。

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