ガールフレンド・イン・ア・コーマ/女性性の時代
The Smiths - Girlfriend In A Coma
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『僕』は『ガールフレンド』に助かって欲しいと思っているのか、何なのか(笑) モリッシーはこういった背景がよくわからない奇妙な歌詞が多い。
ザ・スミスはジョニー・マーの楽曲が素晴らしいにしても、なぜこれほどまでに根強い人氣があるんだろう?(ザ・スミスは年々その評価を上げているような氣がする)それは実のところモリッシーの書く歌詞がわたしたちの魂の本質を歌っているからだと思ってる。
今日久しぶりにこの曲を聴いて、ピンときた。この『昏睡状態のガールフレンド』って、『女性性』のことだよ。
人間には身体的な性別とは別に、女性であっても男性であっても、その人の中に『女性性』と『男性性』というものが必ず存在する。
『女性性』は育てる力、寄り添う、共感するエネルギー。感情や感性、直感のクリエィティブな力。『男性性』は行動のエネルギーで、『女性性』のアイディアや欲求を実現していく力。
理想的なのは、女性性のしたいことをカタチにして行動に移していくことだけれど、いかんせん、これまでがむしゃらに働くことが評価されていた男性性優位の時代では、女性性のクリエイティブな力は発揮しにくかった。
そして人の目や常識などを氣にするあまり、自分の欲求を抑えつけてばかりいると、だんだん自分のしたいことさえわからなくなってくる。以前のわたしはまさにこのタイプだったわけで、わたしが何かしたいと思ってもわたしの男性性はそっぽを向いてしまい、何も実現させてくれないのだ。
そのうちわたしは自分が何を感じているのかがわからなくなった。ただその場その場を取り繕いながら何となく生きているだけ。生きている喜びを感じることはできなかったし、年々『自分には価値がない』という思いに囚われていった。
この曲の『僕』は男性性。『ガールフレンド(女性性)』が昏睡状態に陥ってしまったのは彼のせいだ。女性性の欲求をあまりに無視し続けたため、彼女は自分の欲望を発することを止めてしまった。
女性性の欲求は、ときに恐怖があるとそれを実行するのは難しい。思考で抑えてしまうのだ。だから彼女には会いたくないと言うし、でも彼女がいなくなってしまうのは困る。だから本当は会って願いを叶えてあげたい。
でもそれで彼女は回復するのか?もし女性性の欲求が完全に無くなったら、きっとそれは最後のとき。人間としての終わりを意味しているんじゃないだろうか。
この曲が人氣があるのは、皆がそのエネルギーに共鳴しているから。癒されたいと思ってる女性性からの『ヘルプ』の声なんだと思う。
今がどんな状態だったとしても回復することは可能だと思ってる。女性性を元氣にするのは、恐怖を乗り越えて自分のしたいことを叶えていくこと。それはおそらくゆっくりとしたプロセスで、感情の手放しと癒しを伴う。できるときに勇氣を出してほんの少しのハードルを飛び越えていく。その繰り返し。
まずは自分が何を感じているのか知ってあげること。好きなこと、嫌いなこと。何が心地良く、何がそうでないのか。どんなことが嬉しいのか楽しいのか、されて悲しいことは何なのか。そして自分が本当は何を欲しているのか探っていく。それは自分の内面と深く向き合う作業。
妻だから、母親だから。男らしくないとか女らしくないとか、その他の様々な囚われ。自分を知っていくとそんな囚われからもだんだん自由になり、自分の人生を生き始めることになる。
これからの世界は、今までの大きな勢力に支配されていた時代から個の時代に移り変わってゆくと言われる。それぞれが自分の力を発揮し、他の人々と協力しながら世界を創っていく、そんな時代。それはもう始まっている。
だからこそ女性性の力が重要になってくる。今あなたの『ガールフレンド』はお元氣ですか?もし瀕死の状態だったら救ってあげてほしいと思うのですよ。きっと息を吹き返すから。手遅れになる前に。
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以前にも女性性と男性性でいくつか記事を書いていて、これはわたしにとっての重要なテーマなんだと思う。
あっ、そういえば去年ガイド氏に、「これから女性性と男性性の統合が君のテーマになる」って言われてたっけね?
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Spotify:noteで書いた曲をプレイリストにしています。
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