ウォーク・アウト・トゥ・ウインター/常夏の島は冬だった
Aztec Camera - Walk out to Winter
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バリ人の夫と結婚して2年半、日本に住んだ。その間に長男が生まれて1歳と1か月を過ぎた頃、次男を妊娠した。
今思うと考え無しで、妊娠中の引っ越し、それも海外なんてめちゃ負担だったと思う。もともと夫の島にはいずれ戻ることにしていたのだが、こちらで二人産んでしまうとあちらの生活に馴染めなくなってしまうのでは、という心配、今考えると謎思考なのだが、それでバリに戻ることを決めた。
わたしが移住してから既に30年が経っているのだけど、その当時からバリで結婚する日本人は少なくなく、多くは(というか数人しか知らなかったけど)海の近くの町に小さなお店を構えたりしてのんびりと暮らしている印象だった。
わたしもそんな生活を夢見ていた。でもそんな夢はあっという間に吹っ飛んだ。着いて数か月で次男を出産。慣れない土地での子育て。海の町は家賃が高く家族で住むには負担が大きすぎる。車を買ったらお金の余裕は無く、借りた家はローカルバリバリの地域。
今と違ってネットもスマホもない時代。日本の母へ電話をかけるのだって電話局みたいなところで高いお金払って時間氣にしながらかけた。
バリヒンドゥーの儀式事が煩わしかった。宗教のことはわからないし大人数のコミュニティで活動するバリ人の中で言葉がわからないわたしは孤独だった。友達もいない。私の中で孤独はどんどん膨らんでいく。
その頃のわたしはバリの何もかもが嫌だった。日本へ帰りたいと毎日思って泣いた。夜寝るときにこのまま朝が来なければどんなにいいだろうと毎晩そう思いながら眠りに着いた。
そんなわたしを見て夫が「日本へ帰ろう」と言ってくれたことがある。それなのにわたしはそれを拒否した。この絶好の機会を自分から手放してしまった。
わたしが拒否した理由は義母、夫の母がいたからだ。義母は何もわからない異国の嫁にとてもやさしかった。家で儀式事があるたびに私のかわりに大量の供え物を作ってくれ、たまに帰るとあれこれ用意してくれて、しまいにはいつも「寝てなさい」と言ってくれる(笑)
義母は典型的な田舎のバリ人で、島から一歩も出たことがなく村から町へ行くこともほとんどない。頭の中は日々の生活と毎日の儀式事、供え物の準備でいっぱいのような人。
その義母は夫が日本に居た2年半の間、毎日夫のことを想って泣いていたという。
おそらく義母はまた夫がいなくなってしまったら死んでしまうんじゃないだろうか、そう思った。それを考えたら帰るとは言えなかった。
多分このときにわたしの心は決まったんだと思う。ここで生きていこうと。
その後日本の母に援助してもらい、家を建てた。今も住んでいる家。この頃からわたしは周りに感謝して生きるということを少しずつ学び始めた。
それからも長い道のりで簡単だったとは言い難いが、でも今はバリが好き、と思える。儀式事はまぁ今でも面倒で煩わしい。でもそのことでもわたしが学ぶべきことがたくさんあったと思う。
書いていたらなんだか涙が溢れてきた。わたしはわたしの過去を肯定するために今これを書いている。
先日Spotifyが勝手に選曲してくれるプレイリストからアズティックカメラが流れてきた。アルバムが好きで昔何度も聴いた曲だ。
そしてわたしはわたし自身と約束してここに来たんだと思った。日本にいては学べなかったこと、それを学ぶために心の冬に足を踏み入れた。
最初来たときは極寒の険しい世界だった。吹雪く中を目を瞑りながら何とか少しずつ前に進んでゆく。長く歩いているとやがて雪は止み、瞼の奥に光が見え始めた。そこでゆっくりと目を開けてみる。
そして見つけた。今まで見えなかったものを。それはわたしが吹雪の中を進んでいたときでさえ輝いていたものだったのだけれども。すべてがわたしに対して手招きしていた。
人間というものは一度冬を経験しないと自分の本質というものには辿りつけないのかもしれない。
今わたしの心は春を迎え、夏がやってこようとしている。多分冬はもうやって来ない。
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画質が悪いので上には貼らなかったけど、伝わるかな、ロディ・フレームの美青年ぶり♡ロディは短髪より長髪が好みだわ。
この曲は二十歳の頃によく聴いていたもの。わたしのガイドにこれもあなたが送ってきてたものなのかと尋ねた。ガイドは「もちろん!」と誇らしげに答えた。
洋楽派のわたしは松任谷由実さんの曲は聴いたことがなかったが、「すべてのものはメッセージ」なのだ。
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守護ガイドリーディングをしています。
Spotify : noteで書いた曲をプレイリストにしています。
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