ホログラフィー原理 (2/2)
本記事は
の続きです。
前回はブラックホールの情報喪失問題から、ホログラフィー原理の提唱に至るまでを述べました。今回はホログラフィー原理が超弦理論において実現していることについて述べます。
超弦理論におけるホログラフィー
前回の最後で言いましたが、't Hooft(トホーフト)はRef.[1]において、量子重力の記述のためには、ホログラフィー原理を備える量子論の構築が必要であることを訴えました。
ところが実はホログラフィーを備える理論はすでにあったのです。それが超弦理論です。先に結論を言うと、超弦理論による考察から
$$
4次元の\text{Super Yang-Mills}理論 = 5次元の超重力理論
$$
という対応が予想できます。
Yang-Mills (YM) 理論とはゲージ群がSU(N)である非可換ゲージ理論のことです。N=3の場合は量子色力学(Quantum ChromoDynamics, QCD)と呼ばれ、"色"に対応する電荷が3つ存在します。これはクォーク・グルーオンの運動を記述する理論であり、原子核を構成する陽子と中性子を結びつける「強い相互作用」の基礎理論です。YM理論に超対称性を課したのがSuper YM理論です。超対称性はボソンとフェルミオンの入れ替えに対する対称性です。この対称性は実に様々な理由でその存在が重要です。超重力理論の「超」も超対称性の超であり、重力の理論に超対称性を貸したものです。
「超」はつきますが、上記対応は
重力の理論が1次元低い別の理論と等価である
というホログラフィーの関係を実現しています。
対応関係を予想する
なぜこの関係が予想されるのか、概要を説明します。以下主にRef.[2]を参考にしています。
超弦理論は統一理論
超弦理論はすべての相互作用を統一的に記述する10次元(空間9次元+時間1次元)の理論です。重力も電磁気力も強い相互作用も弱い相互作用も、すべてひも −弦− で説明します。このことから超弦理論では重力と他の相互作用との関係を見出すことが可能になります。超弦理論は弦理論に超対称性を持たせたものです。超対称性を弦理論に課すことは、フェルミオンという粒子を弦理論の中で整合的に扱うために必要です。前述した対応の両者に「超」がつくのは、それらが超弦理論に由来するからです。
Dブレーンとextremal p-ブレーン
弦には開いた弦 −開弦− と閉じた弦 −閉弦− があります。開弦の端にはDブレーンと呼ばれる「膜」が存在できます。膜と言っても、超弦理論が定義される10次元においてそれより次元の低いオブジェクトという意味であり、空間2次元とは限りません。Dpブレーンは空間p次元、時間1次元のオブジェクトです。DブレーンのDとはDirichletのDであり、弦の端にDirichlet境界条件(固定端条件)を課すことで現れるためにそう呼ばれます。
さて、超弦理論において、10次元時空中にD3ブレーン −空間3+時間1次元の「膜」− をN枚重ねて置きます。
この状況を以下の2つの違う視点で眺めます:
1.Dブレーンを開弦の端の膜とみなす
開弦の端点が固定される膜としてDブレーンを扱います。Dブレーンはダイナミカルなオブジェクトであり振動します。Dブレーンの運動を司る有効作用をDirac-Born-Infeld(DBI)作用と呼びますが、これを弦の自由度に関して展開することで、Dブレーン上に場の理論が存在することがわかります。特にN枚のD3ブレーンを置くと、ブレーン上にはd=4 SU(N) $${\cal N=4}$$ SYMが存在することがわかります。ここで$${\cal N}$$は超対称性の生成子の数を表します(スピノルの自由度は除く)。これが大きければ大きいほど高い超対称性を持ちます。詳しくは例えばRef.[2]などを御覧ください。
2.Dブレーンをextremal 3-ブレーン(超重力理論の解)とみなす
次にDブレーンを超弦理論の低エネルギー有効理論として記述します。弦の励起は無限に高いエネルギー状態のタワーを生みますが、低エネルギーではそのうちゼロ質量の励起のみが重要です。超弦理論を低エネルギーの自由度のみに制限すると超重力理論になります。超重力理論の解(超重力論における運動方程式の解)のうち、D3ブレーンに対応するものがあり、その中でもextremal 3-ブレーンと呼ばれるものがあります。この解は特別で、それらを並行に並べてもその間には力が働きません。これはソリトンの業界ではBPS状態と呼ばれるものです。この解は以下のように表されます(Ref.[2]):
$${\hspace{2cm}\displaystyle ds^2=H^{-1/2}(r)d\vec x^2_{||}+H^{1/2}(r)(dr^2+r^2d\Omega_5^2),\\ \displaystyle \hspace{1.5cm} \ H(r)=1+\frac{R^4}{r^4}, \ R^4=4\pi g_s N\alpha'^2, Q=g_sN,\\ \hspace{2.5cm} g_s: 弦の結合定数、\alpha': 弦の張力 }$$
($${F_5}$$という超重力理論の場の解もありますが、ここでは省略します)
$${ds^2}$$は時空のゆがみを表します。つまりは、このゆがみを背景とする時空がN枚のextremal 3-ブレーンに対応します。$${d\Omega_5}$$は5次元球の自由度、$${r}$$は動径の自由度、$${d\vec x_{||}}$$はそれらに直行する5次元のデカルト座標、$${R}$$は5次元球の半径です。この解は安定な状態です。
重要なのは上記2つの視点はどちらも同じことを記述していることです。このことから、SYMと超重力理論に対応がつくように思えます。
AdS/CFT対応
ここでextremal 3-ブレーンに少し質量$${\delta M}$$を加えると、ブレーンはブラックホール(ブラックブレーン)となり、事象の地平ができます。すると安定だったブレーンがホーキング輻射を起こし、閉弦を放出し始めます。これを開弦の端点のD3ブレーンの描像で考えると、開弦が融合して閉弦となり、ブレーンから離れる過程に対応します。これらの記述は等しいと思われるので
$$
\hspace{-4cm}開弦による(\text{SYM}による)弦の放射の記述\\
{}\\
= \ 閉弦による(重力理論による)グラビトンの放射の記述
\tag{1}
$$
という関係が成立しそうです。ここで重要なのは、SYMのユニタリ性より、放出された閉弦もSYMの理論空間に存在しており、SYMで記述できる(であろう)ことです。
ここで$${r\rightarrow 0}$$(near horizon limit)とすると$${H\simeq R^4/r^4}$$であり、このとき上記の$${ds^2}$$は以下のようになります:
$${\displaystyle \hspace{2cm} ds^2\simeq \frac{r^2}{R^2}(-dt^2+d\vec x_3^2)+\frac{R^2}{r^2}dr^2+R^2d\Omega_5^2\\ \hspace{2.5cm}=R^2\frac{-dt^2+d\vec x_3^2+dx_0^2}{x_0^2}+R^2d\Omega_5^2\\ \hspace{3.5cm}(R/x_0:=r/R)}$$
これは5次元反ドシッター空間(Anti-de Sitter (AdS) 空間、第1項の部分)と5次元球(第2項)との直積空間 −$${\text{AdS}^5\times \text{S}^5}$$− です。$${R}$$は5次元球の半径であると同時にAdS空間の半径でもあります。ゲージ理論は$${r\rightarrow \infty}$$すなわち$${x_0\rightarrow 0}$$に存在します。このとき$${ds^2\simeq \frac{r^2}{R^2}(-dt^2+d\vec x_3^2)}$$となり、これはMinkowski空間です。つまり
1.の視点は$${x_0\rightarrow 0}$$におけるd=4 SU(N) $${\cal N=4}$$ SYMを与える。
2.の視点は$${\text{AdS}^5\times \text{S}^5}$$における超重力理論を与える。
さて、いまSYMと超重力理論との対応を考えていますが、ここで超弦理論が古典的な超重力理論で書ける条件を考えます。この条件を(脚注1)にまとめておきました。これは弦の励起状態が抑制される条件、また低エネルギー極限をとる条件です。重要なのは、この条件は't Hooft結合定数$${\lambda:=4\pi g_s N}$$が大きい場合に対応することです。(脚注1)の条件ではゲージ結合定数$${g_{\rm YM}}$$がゼロなので、一見SYM理論が弱結合になり、摂動論がつかえるように思えますがそうではありません。このときゲージ群のランクは$${N\rightarrow\infty}$$であり、$${g_{\rm YM}}$$が小さくとも摂動論は使えなくなります。この極限はラージNと呼ばれ、上記の't Hooft結合定数$${\lambda}$$がSYM理論の摂動展開のパラメータになります。$${\lambda}$$が大きいということは、SYM理論は強結合・非摂動的な状況に対応します。
以上から以下のAdS/CFT対応が予想されます。もっともconservativeな予想はSYMと超重力理論との対応です(Ref.[3]):
【ConservativeなAdS/CFT対応】
$$
\hspace{-3.5cm}\text{d=4 (Minkowski), SU(N)}, {\cal N=4} \text{ SYM}\\ {} \\
\hspace{2.5cm}\xleftrightarrow{等価} \ \text{supergravity on} {\text{ AdS}^5\times \text{S}^5 }\text{ background}
$$
AdS/CFTのCFTとはconformal field theoryの略であり、スケール対称性が存在する(≒ conformal対称性を持つ)場の量子論のことです。$${\cal N=4}$$のSYMはconformal対称性を持っており、CFTです。$${x_0}$$と重力側の$${\text{S}^5}$$は、SYM側では内部対称性に対応します。特に$${\boldsymbol x_0}$$はCFTのスケール変換と対応しており、$${x_0}$$の座標が物理現象を観測するエネルギースケールとみなせます。つまりはくりこみのエネルギースケール$${E\sim 1/x_0}$$に対応します。
この対応が興味深いのは、上記したように、Yang-Mills理論は$${\lambda \gg 1}$$の強結合領域すなわち解析が大変難しい領域であるのに対し、その双対な理論が簡単な超重力理論の古典論であることです。この「弱結合・強結合対応」は、AdS/CFT対応の検証を困難にする一方、ホログラフィーを単なるパラダイムではなく道具として有用なものとします。なぜなら、AdS/CFT対応を使えば、難しい理論を簡単な理論にマップできるからです。実際Ref.[4]では、ホログラフィーを用いて、解析の難しいクォーク・グルーオン・プラズマ −核子やパイオンなどのハドロンからクォークやグルーオンが解放された"プラズマ"状態− の粘性の計算を行いました。そしてそれは、ブルックヘブン国立研究所のRHICにおいて行われた実験と無矛盾です(Ref. [5])。
マルダセナはより一般的な対応、すなわちゲージ理論と超弦理論との対応を予想しています(Ref.[3]):
【AdS/CFT対応 −StringとSYMとの対応−】
$$
\hspace{-3.5cm}\text{Type IIB superstring theory on }AdS^5\times S^5\\ {} \\
\hspace{3cm}\xleftrightarrow{等価} \ \text{4d } {\cal N}=4 \text{ super YM theory}
$$
これは$${g_s}$$や$${N}$$が上記の極限以外でも(=弦の励起が存在しても、超弦理論であっても)対応が成立するという予想です。
この予想は数々の実際の対応、すなわちCFT側と重力側の計算の一致により確かめられています。ただ未だきちんとした証明はないと思います。
ゲージ/重力対応
さらに、AdS/CFT対応はもっと大きなパラダイム「ゲージ/重力対応」のひとつと考えられています。AdS/CFT対応は、D3ブレーンを背景場とした対応でした。重力側はAdS空間上の5d超重力理論であり、ゲージ理論側は$${{\mathcal N}=4}$$ SYMです。最初にYang-Mills理論は強い相互作用の理論と言いましたが、$${{\mathcal N}=4}$$ SYMは実は現実の強い相互作用の理論とはだいぶ違います。現実の強い相互作用の理論はQCDと呼ばれ、超対称性を持たない理論であり、量子アノマリーと呼ばれる現象によりスケール不変性が破れています。これはこの世界が今の有り様であるために非常に重要な性質です。このアノマリーがなければ、我々の体がこんなに重いということはないでしょう。我々の体の重さの大部分は核子 −陽子と中性子− からできています。これらの重さはスケールアノマリーに密接に関係しています。一方で、$${{\mathcal N}=4}$$の超対称性はYM理論における可能な超対称性の中で最大であり、そのためにスケール対称性はアノマリーでは破れません。これは決定的な違いです。
これに対し、ゲージ/重力対応とは、超弦理論側のバックグラウンド時空を変化させると(要はブレーンおよびその配置を変更すると)、それに対応するゲージ理論がAdS/CFT対応のそれに限らず存在するという拡張されたパラダイムです。ブレーンの配置をうまく選ぶと、QCDに対応する双対な超弦理論も存在するかもしれません。実際かなりうまくQCDを再現する超弦理論のセットアップも存在します(Ref.[6])。現在では「ゲージ/重力対応」のパラダイムにより、様々なゲージ理論の計算が双対な重力理論でなされています。
蒸発の中の情報
ブラックホールの情報喪失問題に戻ります。以下ブラックホールをBHと略します
AdS/CFT対応は2次元⇔3次元のホログラフィーではないとはいえ、BHの中身の情報は表面に投影され情報は消えないということを認めたとしましょう。しかし、BHの蒸発に関してはどうでしょうか。表面に情報が現れていたとしても、蒸発しきってしまえば無くなってしまいます。ならば結局は情報はなくなります。
この矛盾を解決するためには、蒸発する過程のその放出された粒子の中に情報が含まれていると考えるしかありません。
少し時を遡ります。D.Pageは1993年、BHの蒸発に含まれる情報に関し重要な研究を行いました。彼は2次元のディラトンBHに対しエンタングルメント・エントロピー(〜フォン・ノイマンエントロピー)と呼ばれる量の時間依存性を計算しました(Ref.[7])。このエントロピーは量子エンタングルメントの強さを測る量ですが、直感的にいうと、量子系の一部が観測できないために知識を失うことで生じるエントロピーです。Pageは簡単なモデルを作り上記BHに関してこのエントロピーを計算したところ、しばらくの間増えるのですが、ある時間(Page timeと呼ばれる)から減り始め、結局はトータルでゼロになるという結果を得ました。この振る舞いは、蒸発の初期の粒子と終盤の粒子がエンタングルしており、放射の中に情報が含まれていることを示しています。つまりは放射を見るとBHの中身の情報がわかるというわけです。エントロピーが一度増えてまた減るカーブをPage curveと呼びます。
近年Netta Engelhardt、Ahmed Almeheriおよびその共同研究者らは、ホログラフィーに基づく計算により、BHのエントロピーの時間発展を計算しました(Ref.[8][9])。エンタングルメント・エントロピーを場の量子論で直接計算しようと思うと一般には非常に大変です。厳密に計算できる例は少ないと思います。これに対し、Ryu & TakayanagiおよびHubeny, Rangamani & Takayanagiは、ベッケンシュタイン・ホーキング公式のホログラフィー解釈の拡張として、CFTのエンタングルメント・エントロピーを双対な重力理論における極小曲面として計算する方法を提唱しました(RT/HRT公式。Ref.[10])。これらは量子補正に関して低次のエントロピーでしたが、Engelhardtらはそれを改良し、任意の量子補正を含むホログラフィックなエンタングルメントエントロピーの計算法を提唱しました(Ref.[8])。Ref.[9]ではこれに基づき、「2次元の重力理論+CFT」に対応する双対な3次元の重力理論を構成し、この空間における「量子的極値局面(Quantum Extremal Surface、QES)」を求めることでBHのエントロピーをホログラフィックに計算しました。このエントロピーの時間発展は、下図のようにPage curveを再現します(Ref.[9]より引用。本記事著者が図を描き直している)。
この結果は、フルに場の量子論的効果を取り入れたBHエントロピーの計算においても、やはり蒸発の中に情報が含まれており、情報喪失は起きていないということを強く示唆しています。現在ではより現実的なBHに関してもエンタングルメント・エントロピーの時間発展の計算が行われています(Ref.[11]など)。
面白いことに、RT/HRT公式やQESの概念に基づくと、BHの放射に関わる領域は、放射が起こる外部の場所だけではなくそれと非連結なBHの内部にも存在することがわかります。ただし非連結なのは実際にBHやCFTが存在する次元の観点であり、CFTに双対な高次元の重力理論においては非連結ではなく連結しています。これは、BHの内部の物質と外部の物質が「高次元の橋」を通してエンタングルしている、とみなせます。そしてこれは、MaldacenaやSusskindらが提唱する、「Einstein-Rosen bridge = BHとホワイトホールを繋ぐ時空の橋、ワームホール」と「エンタングルしている粒子対」が等価であるという、いわゆる「ER=EPR」(脚注2)のひとつの現れであると考えられます(Ref.[12])。
まとめ
今回の記事では、超弦理論がAdS/CFT対応やゲージ/重力対応という形でホログラフィー原理を実現していることを説明しました。またホーキング輻射がBHの内部情報を持つという強い証拠がホログラフィーにより得られることを話しました。
本記事ではAdS/CFT対応を定性的なレベルでお話しましたが、もちろんこの対応は定量的に成立します。すなわち重力とゲージ理論のどちらで物理量を計算しても同じ結果が得られるのです。ただこれを実際に計算するには、相関関数レベルでの両者の対応関係を具体的に構成する必要があります。これはGubser, Klebanov, Polyakov(Ref.[13])およびWitten(Ref.[14])によりなされました。重要なことですので付記しておきました。
次回おまけの回をはさみ、その後Susskindの論文"The world as a hologram"における場の量子論の高エネルギー現象に関して話します。
おしまい。$${{}_\blacksquare}$$
(脚注1)次のような極限でこの関係は成立します:
$${\hspace{3cm} g_s\rightarrow 0,\alpha'\rightarrow 0, \lambda=R^4/\alpha'^4=4\pi g_s N\gg1}$$
ここで$${\lambda}$$は't Hooft結合定数、$${4\pi g_s:=g_{\rm YM}^2}$$、$${g_{\rm YM}}$$はYang-Mills理論の結合定数、$${\alpha'}$$は弦の張力およびエネルギー密度と関係するパラメータ、$${N}$$はYang-Mills理論のカラーの数(SU($${N}$$))の$${N}$$。これは非自明な極限です:この極限では$${g_{\rm YM}}$$はゼロですが、カラーが$${N\rightarrow \infty}$$であり$${4\pi g_s N}$$が大きいために、ゲージ理論において非摂動的効果が大きく効きます。
(脚注2)ERはEinstein, Rosenの略。Einstein-Rosen bridgeを表します。EPRはEinstein, Podolsky, Rosenの略。エンタングルした2つの粒子はEPRペアと呼ばれます。
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