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理科のカリテで5点を取ってきた日のこと

日能研では、カリキュラムテスト、通称カリテと呼ばれるテストが月に1回あるが、その理科のばねの問題で、5点という成績を取ってきたことがある。

私は、正直そのテストのことは点数までは忘れていて、とにかく理科の計算問題が苦手だった、という記憶だけだったのだけど、本人は

「1問しか合ってなかったから、5点だよ」
「塾の校長先生がすっごい困ってたの覚えてる」

と武勇伝のように当時のことを振り返る。

実際にバネを買ってきて
「これが6cmで、伸びたら10cmでしょ。じゃその差は何cmかな」
とか一生懸命説明しても何だか腑に落ちない様子で、絶望的な気持ちになったのを覚えている。

苦手科目とうのは、誰でもあると思う。
(ない子もいるけど)

娘の場合、算数がとにかく苦手だった。国語の偏差値が60台で、算数の偏差値が40台なんてことも多かった。

そして算数が苦手、はそのまま理科の物理の計算問題にも当てはまり、理科の得点も伸び悩んでいた。

苦手科目が1教科ならまだ何とかなる。でも2教科となると復習する時間が全然足りない。

それに社会の地理の分野も、親戚とか遠くにいるわけでもないし、鉄道に興味があるわけでもないから、何というか全体的に予備知識みたいなものが何もなかったように思う。

学校の成績はそんなに悪くなかった。学校のテストならどの教科も90点以上は取れていたはずだし、成績は5段階評価の4以上はあった。

でも受験用の勉強となるとわからない単元も多くなっていった。
わからないことを塾の先生に質問しておいでと提案しても、人見知りの性格もあって、自分から先生に質問なんて全然できなかったようで。

結局プラスで『図形を極める』みたいなオプション授業を申し込んでいたけど、やはりそれだけで克服できるものではなく、落とし込みが不十分のまま次の単元に進んでいったと思う。

勉強しないからできない、というより、真面目に取り組んでもわからないってどうしたらいいんだろう。努力はしているのに頭が追いつかない。そんな状況だった気がする。

あの時、「中学受験はやめて、高校受験でがんばろう」
と切り替えたり、選択肢を広げればよかったのか。

私がそう提案しても、きっと夫は、やれるだけのことはやってみようと言ったはずだ。

結局、もう日能研に通い続けても、このままじゃ何も変わらないと悩みぬいて、6年の春に、日能研からユリウスに転塾することにした。

ユリウスは日能研の個別指導の塾だけど、うちの近くのユリウスでは10名前後の集団授業を展開していて、結果この転塾は大正解だったようで娘を救ってくれたことになった。

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