愛の瞳と涙
どうしようもなく、泣きたくなるほど、愛おしい気持ちになることがある。
見知らずの子、今初めて会った子。
その小さな足でフラフラしながらも、一歩一歩を一生懸命に踏みしめて進んでいる。
となりにはその子のお母さんだろう。
心配しながらも、見守りながら片手を繋いでいる。
その半歩後ろにはお父さん。
どっしりとした背中がたくましい。2人を守っているのが伝わる。
横を歩いてすれ違っただけ。
たったそれだけなのに、心がしめつけられる。
足元を見ながらも先を向いている小さな瞳、
子を見守るお父さん、お母さんの瞳、
その瞳があたたかかった。
本人たちはきっと気づいていない。
ただの日常。昨日と、明日と、何も変わらないから。
小さな子どもは素直だ。
瞳が美しい。透き通っている。
その瞳をみつめると、涙が出てきそうになる。
きっと心がきれいだから。
自分にうそをつかないから。
寝顔すらも愛おしい。
目を瞑って寝ているのに、まぶたをこえてその瞳から光があふれている。
その目を見つめるだけで自然と笑みがこぼれる。
そのままでいてほしい。
そのままのあなたでずっといてほしい。
そう思う。
年を重ねるにつれ、知りたくないことも知ってしまう。
ウソを覚える。
自分を偽ることを覚える。
そして、それを無意識に。
じゃあ、本当の自分とは?
年を重ねても透き通った瞳をしている人はいる。
何が違う?
今日、祖母の家に行った。
最近、祖母はあまり身体の調子が良くないらしい。
身体が曲がってしまう。
今までとどいていたところに、手がとどかない。
歳ということもあるだろうけど、、、
私は今、カイロプラクティックを勉強している。
祖母の身体を触ることにした。
まだ勉強をし始めて1年ちょっと。
筋肉が硬いとか背骨がズレてるとか、そんな事しか分からない。
だからやった事といれば、太ももや臀筋をさすることくらい。膝と股関節を少し動かしてあげただけ。
それでも祖母は喜んでくれた。
朝はとどかなかったところに手がとどいた!
私は素直に嬉しかった。
そして喜んでいる祖母をみて、「あ〜おばあちゃんのこと大好きだな。ずっと元気でいてほしいな」と心の底から思った。
同時に祖母の瞳は透き通っていた。
祖母は私が身体に触れたことを嬉しいと言ってくれた。
少しだけでも良くなったことを喜んでいる。
今を楽しんでいる。
今を味わっている。
今にエネルギーがある。
今を一生懸命に生きているんだ。
子どもの一歩と私の一歩は違う。
子どもはその一歩にエネルギーがこもっている。一生懸命足を出している。
私は?
私の一歩は、ただ股関節を曲げ、膝を曲げ、それを少し先で伸ばしただけ。
一歩が軽い。いい意味の軽いではない。そこに何もないから軽いだけ。
最近の私は、時間が過ぎるのを待っていた。
自分のエネルギーを時間経過のために使っていた。
本当の自分とは?
わたしは何をやりたいのか?
正直よく分からない。
分からないから、何が言いたいのか?まとまっていない文になっているのだろう。
ただ今日は、泣きなくなるほど祖母のことが愛おしく感じた。
その愛はなんだったのか?
それを考えるきっかけになった。
私も透き通った瞳である人になりたい。
本当の自分を見つけ、素直に、今を一生懸命に生きていきたい。
エネルギーに満ち溢れた一歩を踏みしめていくために。