見出し画像

エッセイは人生の小さなショールーム

俺は小さいころから読書が好きだ。13歳でスマートフォンが買い与えられるまで(当時にしてはかなり早かった)暇さえあれば、小説・マンガ・雑誌、、、とにかく本媒体のものばかり読んでいる子供だった。となれば、さぞたくさんのジャンルに明るいと思うだろう。ところがどっこい、俺は本に関してかなりの食わず嫌いを発揮していた。端的に言えば、「ミステリー・サスペンス」と「物語」しか読まないのだ。他代表的なジャンルで言えば「自己啓発」「自伝」「エッセイ」「ノンフィクション」等たくさんあると思う。残念ながら、「自己啓発」と「自伝」は大人になってから多少読んだがやはり好きにはなれなかった。おそらく俺は自己流儀が強すぎて、他人の提唱する"こうすればよい"や"これはしてはいけない"といった人生におけるルールを適応できないのだと思う。エッセイ(ノンフィクションもこの一部な気がするので以下統合して呼ぶ)も他人の人生そのものから書かれるものだから、同じ理由で受け付けないだろうなと今日まで敬遠がちであった。しかし今日、ふと寄った新宿の紀伊国屋でこのイメージが一新することとなったので聞いてほしい。

自己啓発・自伝は人生のキャッチセールス

本題に入る前に、なぜ俺が「自己啓発」や「自伝」を好まないのかを少し語らせてほしい。以前知人から勧められて少し読んだことのあるスティーブン・R.コヴィー氏著の"7つの習慣"という本を例にしよう。この本をめっちゃざっくり説明すると、人生を好転させるような生き方には一言で言語化できる7つの原則があり、それを1つずつ述べたのちに解説をしていくという形式のものであったと思う。初めてこれを読んだ時出た言葉は、「そりゃそうだろうな」だった。そんなもん成人済みの人間は大半分かっていること、でも実際にはいろんな人間関係・親・会社のしがらみや己の弱さでそれができないときもあるでしょ。そういう人としての生々しさ・人間臭さをちっとも考慮している感じがしないな、と落胆した覚えがある。じゃあ自己啓発や自伝というものは悪いものなのか?いいや違う。俺自身がこれらジャンルの需要の外にいる人間であるというだけのことである。皆さんの会社には、保険会社や証券会社の営業マンが投資信託の営業に来ていたりはりないだろうか?来ていればイメージは早い。もしそんなものは知らないという人が居たら、明日以降でも銀行か証券会社の窓口に「投資に興味があるのですが」と一言殴り込みに行ってほしい。さて話を戻そう。彼らがやっていることは"キャッチセールス"である。もし投資に興味があったら、銘柄選別も運用も全部私どもが最適に行いますのでどうぞこれをお買い上げくださいといった塩梅の営業手法である。これは、投資をしてみたい気がするけど調べたり運用したり自ら動く時間は割きたくない。そんな人間にはうってつけの営業手法のため、古くから今日に至るまで廃れることのない手法なのである。
これは「自己啓発」「自伝」にも同じことが言える。自分のうだつの上がらない人生には辟易しているが、自分でゼロから打開策を考えたいわけではない。若しくはそんなもの分からない、というタイプの人間にはクリティカルヒットするのだ。「自己啓発」「自伝」は筆者の環境や生まれた時代によって、多少の偏りがあるとはいえやはり成功者の言葉や習慣なので真似して損することはない。だからこそ、前述したタイプの人間には非常に効果てきめんであり存在意義はもちろんしっかりとあると思う。ただ、自分のケツは常に自分で拭きたい奇特な俺にはどうも鼻についてしまうだけなのであろう。

エッセイは人生の小さなショールーム

かといって、俺は他人の人生に全く興味がないわけではない。赤の他人がどういった育ちで、どのような環境下でどういう価値観を持つのか。そういう、俺の知らない人の感性はなんなら大好物である。今まで俺は、それは物語小説を読めば粗方理解できるものと思っていた。村上春樹の作品には、じめっとした(擬音語で申し訳ないが俺はこう感じている)性描写が随所に入るため、本人にも人格形成時において何かこう記憶から剝がすことができない性に関わる経験をしたんだろうな、といった感じにだ。閑話休題、エッセイの話をしよう。まずなぜ今日紀伊国屋書店に行ったのかだが、最近noteを始めて思っていたのが、執筆のアイデアには雑誌を知ることがよいのではと考えたからである。noteの様々な投稿記事を見ていると、なんだか美容院で髪の毛を切ってもらっている時を思い出すのだ。すなわち、(美容院に置いてあるような)雑誌の掲載記事によく似ているなと思ったのである。そのため、俺も記事執筆のアイデア創出のため近所で一番いろいろなジャンルの本があるであろう書店に行き、雑誌からフォーマットと着想を練る材料収集をしに行ったのだ。雑誌はというのは良くも悪くも薄い。薄い本なのである。ものの15分程度で手持ち無沙汰になってしまった俺は、せっかくだからと2Fの小説ブースに足を運んだ。そこで俺を迎えたのは、スタッフセレクトコーナーだった。そのコーナーはきっと書店員のおすすめが集まっている島なのだろうが、端っこに"ベストエッセイ"という本があった。

購入したベストエッセイ

特に理由もないが、俺は何となくそれを手にして、2本分話を立ち読みしてみた。すると驚いたことに「エッセイ」というのは、筆者自身の実体験あるが"こうすればよい"や"これはしてはいけない"などの人生のルールにおけるキャッチセールスを全く感じさせずに、筆者の価値観・人生観がダイレクトに見えてくるのだ。これはまさに"ショールーム"なのではないだろうか。人生はこういうルールもあるよ、というのを俺に強制させずに、でも直に見せてくる感じ。ショールームは、客に商品の形式を提示して購入を促すわけでなく、こういうスタイルもあるけどどうかな?といったひどく受動的なセールススタイルである(一般的には)。だからこそそれを100%丸々購入する必要はないし、売り手側も印象に残れば、今後客が購入を決断する際の参考になればという側面が強いと思う。
そう考えると、エッセイ集・エッセイコーナーというのはただ無機質に本が陳列されているのではなく、筆者たちの小さな暮らしの一部がたくさん具現化して表れているメルヘンチックでSFチックな、とても異質で好奇心をそそる非現実的な(最も沢山の人の現実が並んでいるので非現実というのもおかしいが)空間に見えたのだ。
俺は、筆者の価値観・人生観における主張の仕方にはずっとこのスタンスを求めていたのだろうと感じた。
無論あっという間に世界観に飲まれてしまい、気づけばその本を手に帰路に着いていたのである。本当に食わず嫌いとは馬鹿馬鹿しい、俺はこの歳で新たなジャンルへの邂逅を果たしたのである。

いいなと思ったら応援しよう!