今が平成だったら喫茶店で雑誌にかぶりついていたのかな
自宅でケータイの画面に飲み込まれそうになりながら過ごす休日。
傍らにはエスプレッソマシンで淹れたコーヒー。
テレビではなんとなく昔のドラマを流してる。
TRICKはやはり名作だ。
ただ、私は今、注意散漫だ。
ながら見をしているこの時間は、きっちり向き合って観る時間に比べて明らかに価値が低いと思う。
でもやってしまうし、このバランスに慣れてしまってもいる気がする。
これがどうだろう。
私が今の歳で、平成に生きていたら。
お気に入りの喫茶店でコーヒーを注文して、とりあえず目についた雑誌をペラペラとめくるんだろうか。
写真や文章にいちいち感動して、刺激を受けて、
帰るのもなんだからしばらく居て、他の席の人を観察したり、
なんとなく読んだコラムが面白くて、帰り道に図書館でその作家の作品を探してみたり。
そんなふうに過ごしたら心が満たされるんだろうなぁ。
今でもできるじゃん、
と言われたらそうなんですけどね。
それ以外にチョイスがない状態でそうする時って集中力が上がるというか、コンテンツを余すことなく楽しめる感じがしませんか?
書いてないことにまで考えを巡らせたりして。
盛り込まれたユーモアを素直に受け取って、してやられたと笑ったりして。
ああ、いいな。
まぁ、人生で1番感動した買い物はiPhone。
それは変わらないんですけどね。
よく考えたら阿部寛のドラマばかり見てるな。
まだ結婚できない男、そういえば途中だ。
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