ぷらぷらり日記 2023.2.15 北野異人館街
今週のはじめに有給休暇が欲しいとnoteに書いてみたら、なんと本当に水曜日に有休が取れてしまいました。夢は口にすれば叶うものなのですね。
というわけで、この日はなんとなくJRに乗り、なんとなく六甲山でも見に行こうかと思ったのですが、電車内で将棋ウォーズに夢中になっている間に、その少し先の三ノ宮駅まで来てしまいました。
ならば三ノ宮で下車するのが吉なのだろう。前から気になっていたところもあるし。
三ノ宮駅を出て0.5秒、真っ先に目に飛び込んできたのがこれ。
わかる人にはわかる。信長書店である。その名の通り本屋さんではあるのだが、LOVE TOYSもたくさん売っている。壁面に描かれている、ボーリングのピンのような赤い形状の物体が何かわからない人に説明すると……おっとこれ以上はいけねえ。
ちなみに高校生の頃、ふつうの本屋だと思って日本橋にある店舗にうっかり入ってしまったのが最初の出会い。
当時は18歳未満だったので漫画しか買えませんでしたが(いちおう、ふつうの漫画雑誌も取り扱っている)、その後は梅田店に幾度かお世話になり……いやそんなことはどうでもいいので、歩を進めましょう。
JRの駅名標では「三ノ宮」ですが、正式な名称は三宮であり、駅前のこの辺りの地名は二宮です。ややこしいな。
JR・阪急・阪神・神戸市営地下鉄と4つの鉄道路線が乗り入れ、ビルが無数に建ち並び、なみなみと商店街が続くザ・大都会なわけですが、山もかなり近くにあり、駅から5分も歩けば六甲山が顔を覗かせる。
北野マイスターガーデン、北野工房のまち。
中には雑貨店やカフェが入っていますが、建物は小学校の校舎の再利用。児童数の減少によって廃校になった北野小学校を改装し、1998年に現体制でオープンしたらしい。体験学習などは有料ですが、入場そのものは無料。
各店舗は綺麗に舗装されていますが、会議室のプレートが今でも掛かっていたり、おそらくそのまま残してある校門のブロック塀のヤレ具合が凄かったり、ところどころに年季を感じさせる。
昭和6年の建築であり、当時としては最先端の技術だった鉄筋コンクリート造り。
マジョリカタイルの窓がオシャレ。
それにしても看板のこいつら、すげえハイジャンプである。24周年の喜びを表しているのだろうが、どう見ても2人とも小学生であり、しかもたぶん低学年だ。確実に24年前にこいつらは生まれていない。
下にいるのは神戸市中央区のマスコットキャラクター、かもめん。
もともと港にいたが、神戸市のマークが入ったKOBEシューズをゲットしてからは陸地を散歩しており、お気に入りは布引の滝の周辺のハイキングコースなのだそう。
神戸市立海外移住と文化の交流センター。
名前が長いので何か略称がほしいが、海文交センターというのはなんだか語呂が悪いな。ここも無料で入れます。
この建物も学校の校舎っぽいのですが、実際に看護学校の校舎として使われていた時期もあったらしい。
そもそもは戦前の1928年に移民収容所として建てられたもので、日本からブラジルへと移住するために神戸港から船に乗る人たちが、出航前にここで寝泊まりをしていたのだそうです。
全くの予備知識なしで来たので、すべてが初めて知る歴史なのですが、1908年に笠戸丸という船で781名が渡航したことが、移民文化の始まり。出稼ぎの目的でブラジルに渡る人が多く、到着後は主に現地のコーヒー園で働いていたという。
それから100年、移住者の方々に子孫が生まれ、現在はブラジルは世界最大の日系人居留地となっており、200万人以上が現地に住まれているとのこと。
ここ20年ほどは、日本に帰化する人も多く、2019年の時点での在日日系人は約20万人。
しかし、幼少時からブラジルの文化で育ってきたので日本の習慣に馴染めない人や、ポルトガル語しか話せない人に日本語を教育できる機関がないなどの課題がたくさんあるのだという。
館内のタブレットでは、移住者およびその子孫の方々のインタビューが視聴できます。
おそらくインタビューを受けた人の中で最年長のおじさんは、沖縄から神戸港まで旅立ち、この収容所で走り回って大人に怒られたり、途中経路のリオデジャネイロの景色がとても美しかったり、ブラジルでの住居はそれはもう立派なレンガ造りであったと楽しそうに話し、素晴らしい体験をしたと目を輝かせていました。
と思いきや、1964年の東京オリンピック直前の時期に移住したおじさんは「行かなきゃ良かった」「あと少し我慢すれば日本も発展していたのに」と否定的な意見を述べる。
たぶんほぼ同世代の別のおじさんもあんまり良い感想は話さず、どうも戦前に移住した世代と戦後に移住した世代とでは、認識の違いがあるらしい。
その子供世代の若い人たちは「ブラジルにも日本にも、いい人も悪い人も両方いる」と、どちらの肩も持たない中立の立場。
このインタビューは2007〜2008年頃に収録されたらしく、この後のリーマンショックや、例のアレ禍、去年から続く円安などの事情で、今はまた状況が変わってきていると思うのですが、日本には少なからずそういった事情を抱えた人がいるのだということを知らないといけないと思いました。
はっきりいって物見遊山で入ったつもりが、1時間半くらいこもって真面目に考えてしまった。
しかし、何ヶ月もの間、住めるほどの巨大な船に乗って、未知の外国へと引っ越すって、一体どういう気持ちだったのだろうか。
1908年なんて、ほんの半世紀前までは鎖国していたわけだし、海外に住むどころか、ちょっくら1週間くらい旅行するということですら困難な時代。地球の裏側まで行っちゃうというのはなかなかドラマチックだ。
ただ、収容所はあんまり快適とはいえなさそうでした。
寝室が再現されていましたが、非常に狭苦しい感じ。スーパー銭湯の休憩室のほうがよっぽどゆったりできそう。
さて、前々から気になっていたといえば、この北野異人館街。
洋館が建ち並ぶ、とてもオシャレな街。もっと奥地にあるものかと思いきや、三ノ宮駅から徒歩20分くらいで来れる。
オーストリアの家なのだそうです。
ムーミン谷にありそうな建築物だ。まあ、あれはフィンランドの話だが。
当たり前だけど、日本の家の基準とはぜんぜん違うので、まずどこが玄関なのか初見ではわからない。どこまでが玄関で、どこからを庭と定義するのかもよくわからない。
萌黄の館。小林住宅、旧シャープ邸。
明治28年にアメリカの総領事ハンター・シャープ氏の家として建てられたもの。ちなみに、この近くにはシャープ氏の名前を冠したハンター通りという坂道がある。
シャープ氏が引っ越した後、昭和19年からは神戸電鉄の社長の小林秀雄氏がここに移り、昭和53年に亡くなるまでずっと住まわれていたそうです。
なんともファンシーなおうちだ。
将来ビッグな資産家になったら、是非ともこういう家が欲しい。ただ、あくまで別荘でいい。
あんまり実家にはしたくない。なんか落ち着かなさそうというか、少しでも汚れたら気になりそうで……。根っからの貧乏人気質なもので。
風見鶏の館。旧トーマス住宅。この北野異人館街を象徴する建物であり、重要文化財に指定されている。
ドイツ人の貿易商ゴットフリート・トーマス氏のために建てられたもので、竣工については1904年説と1909年説があるが、トーマス氏の子孫の証言や、1904年6月の署名入りの図面が発見されたことなどから、1904年説が有力。
どちらにしても、100年以上前の姿がそのまま残っている貴重な建造物であることに変わりはない。
ベンチに唐突に現れる、サックス吹きのおじさんの銅像。
この人の他にも、何人かサクソフォニストやトランペッターが風見鶏の館の付近にいて、不思議な存在感を醸し出している。小さい頃に見たらトラウマになっていたかもしれない。
さて、ここから先も三宮を散策したのですが、長くなってきたので記事を2つに分けます。
北野異人館街は六甲山の麓にあり、近くには新神戸駅まで続くハイキングコースがあるのだそう。
別に新神戸駅に用事はないけど、ノリで進んでみました。次回はその顛末を書きます。
おまけ。三ノ宮駅前の工事標識。この手の人型の標識はたまに見かけるが、全員が女性というのは珍しい。
おまけ2。あくまで北野工房のまちであり、今はもう小学校ではないが、どちらにしても廊下を走ってはいけない。改装しているとはいえ、建物そのものは古いので、床が抜けるかもしれませんし。
おまけ3。北野異人館街は映えスポットでスイーツショップなどもあるので、カップルがたくさん訪れていたのですが、いかにもカップルで盛り上がれそうなこの占いエリアにはなぜか誰もいなかった。
デンマークの家やオーストリアの家に比べると、インパクト不足で目立たないせいだろうか……。
おまけ4。薬局なのですが、塾も経営されているようです。偏差値40未満で文系から理転、薬学部を目指すという、誰のものだか不明だが、なんだか決意表明が書かれている。
ビリギャルの小林さやかさんは偏差値30から慶應義塾大学に現役で合格したので、偏差値40未満でも薬学部に行けると思いますよ、誰の決意表明か知らんが。