何のために生きるのか
10代、20代の頃、
してたことといえば買い物。
休みにはおしゃれして買い物に行く
そのおしゃれをするために買い物にいくし、
友達と遊ぶのにも大型ショッピングモールにいって楽しむ、あとは遠出となると観光地に行ったりして
彼氏や友達に可愛いと思われたくて、着飾るものを探してた
休日以外は、毎日同じで、同じくらいの時間に起きて、同じくらいの時間にご飯食べて、同じくらいの時間に会社に行って同じくらいの時間に帰ってきてテレビつけてご飯食べて同じくらいの時間にねてまたそれを繰り返して。
何のために生きてるんだろう
私はこのサイクルを一生やって、生きて死ぬのかなー
なんだろうこのサイクルは。
買い物のために買い物にいき、着飾ってだれかの承認を得たくて、自分も可愛くないと嫌で。とか、なんかそんな毎日飽きたなぁ、疲れたな。
不幸じゃないし、パートナーも友達もいるし、仲良いし、充実してるしいつ死んでもいいかな〜
っていうことをしばらく思ってた時期がある
同じように考えたことがある人はいるのだろうか?
このままだとつまんないし、なんか自分の生活サイクルに疑問が出てきた。
もっとおもしろい人生をおくりたい、でもどんなのかっていわれるとわからない。けど、今の生活ではないことは確かだ。と思ってた。
生活が便利になったし、お金払えばいろんなことが簡単になったし、それでいて何か大切なものが欠如してしまったような生活。
だからかこころは満たされなかった
心を満たすことをする
じぶんを生きる
じぶんの感覚を使って満たしていく
インターネットはわたしたちの神様ではない
そこに答えは探せど、探せどありはしない
まずは身体に元気を満タンにしてから次のステージ。
家で1日寝るでもいいし、漢方飲むでも、鍼灸やるでまいいからとにかく身体をまず満たすことをやってください。この時点では、こころは無関係。こころはおいといて身体の方をケアした方が、結果心も満たされることになりやすい。
身体が満たされてきたら、
身体の五感を使って生きてみる。
起きたい時起きて、朝やりたいことをやる。
毎日同じではない。
好きな音楽、鳥の声でも水の音でもなんでもいい。生の音楽をからだに聴かせてあげよう。
何から命を育ててみる。
植物の種を蒔いて、その子を大切に育ててみる。
お家をきれいな空気でいっぱいにしてくれる存在をふやす。
食べたいなと思う時間に食べたいものを食べる
12時だからじゃなく、時間は関係ない。
お腹空いたら。
なんていう感じで五感を使う生活をしたら、生きてることについてなにかヒントになるかもしれない。
私はこれでヒントをもらって、生きるということ自体がたのしくなって、いつ死んでもいいじゃなくて、死ぬまでにやりたいと思えることが増えてきてる。
死にたいと思う人はまだなにも地球のこと知ってないから、もっと堪能してからでもいい気がするよ。
現代社会で失われた生きるということは無味乾燥なつくられたものでも、ほんとうの人間としての営みはそんなものじゃなく、とても愉しいモノなんじゃないかと気づいてきたよ
若い時の私へのメッセージとしても残しておきたいことを書いてみた
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