生きていた父より、旅立った父を愛する母の結婚観
母はおしゃべりだ。とにかくよくしゃべる。「パートが一緒だった鈴木さんのお子さんが」とか「町内会の佐藤さんの姑が」とか、私が知るよしもない人の話をする。同じ話を何回もする。私は適当に「うん、へー、そう」とうなずくのだが、こちらが聞いていようがいまいが関係ない。話したいことを話すのだ。
母は人気者だ。友人が多くいつも誰かしらとお茶をしている。私が幼稚園、小学校、中学校と進学するたびに、父母会で親同士仲良くなるので、今となっては相当数の友人がいる。週6で通う卓球教室ではリーダーを務め、70歳を過ぎる同世代を取りまとめている。近所に買い物に行けば、かなりの確率で知り合いに遭遇し、立ち話を始める。母の周りにはいつも人がいて、みんな笑っている。
私は子供の頃から、母のことを信用していない。お金があればすぐ使うし、頼んだことはだいたい忘れる。鍋に火をかけたまま帰ってこない。当時幼稚園だった私は、火の止め方がわからず、必死に母を探し回った。近所のおばさんの家で優雅に茶をすする母を見つけ、家に連れ帰ったら、天井に爆発したゆで卵が貼り付いていた。「なんで火を止めないんだ」と逆ギレされたことを今でも忘れない。
***
こんな母といる父も変わり者だ。父はほぼ家にいない。映画館で映像技師として働いていた父は、館内に寝床スペースがあるようで、そこに寝泊まりしていた。時間があれば麻雀をしに行くので、家に帰る時間がないらしい。
子供ながらに心配した私は、「お父さん帰ってこなくていいの?」と、母に尋ねた。母は「別に好きにすれば。死んでるわけじゃないし。こっちも楽でいいわよ」と笑いながら答えた。友達から聞く家族の話と全然違う。毎日みんなでご飯を囲み、週末は旅行に行くという。この夫婦は何かがおかしい、そう思っていた。
おそらく父と母が会うのは年に10回あるかないか。父は寅さんのように、忘れた頃に帰ってくる。帰ってきた日も母は何も変わらず、父と会話することもない。ただいつもより一人分多いご飯をつくるだけ。私が高校に入る頃には、父の姿を家で見ることはなくなった。
私は不思議だった。なぜこの二人は結婚をしているのだろう。時間をともにしていないのに、籍を入れている理由がわからなかった。ある日母に「お父さんと離婚しないの?」と聞いた。「離婚ってめんどくさそう」とだけ答えた。
***
父と母が会わなくなってどのくらい経っただろう。10年以上は経つのではないか。ある日父の訃報が届いた。母と私は慌てて警察署に生き、父の死顔を確認した。間違いなく父だった。
母は葬式で泣いていた。私は涙の理由がわからなかった。母の流す涙にはどんな意味が含まれているのだろう。悲しみなのか、怒りなのか、嬉しさなのか。ただもやもやする気持ちだけがそこにあった。
父が亡くなってから9年が経つ。母は家に立派な仏壇を(私のお金で)買い、父の写真を飾っている。仏壇に向かって手を合す母の姿を見ると、生きている頃より、父と顔を合わせているように見える。毎年、お墓参りも欠かさない。やれお盆だ、お彼岸だと私に電話をしてきては、お墓参りに行こうと誘う。「お父さん寂しがっているから」と言うが、今言うべきセリフなのかわからない。
お墓参りといってもドライなものだ。最寄り駅でタクシーを捕まえ、墓地ではタクシーを待たせたまま、お墓の前で手を合わせ、3分で帰る。なんとも味気ない。ただ、私はこの墓参りスタイルが気に入っている。私達の家族らしいお墓参りだ。
***
母は、生きているころよりも死んだ父を愛しているように見える。生きている頃に、こんなに父のことを気にかけていただろうか。夫婦とは家族とは何なのか。父と母の関係を見ると私はよくわからない。同じ時間を過ごさなくても、周りには見えない細い糸でつながっていたのだろうか。夫婦のかたちは一つじゃない。それぞれの自分らしいかたちでつながっても良いのかもしれない。今はそう思える。
変わり者の父の話はこちら。よかったら合わせて読んでみてください。