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スラスラと正確にできなければ意味はない

計算は、スラスラと正確にできなければ、できないのと同じです。

考えたり悩んだりしながらなんとか正解が出せるというのは、計算の仕組みを「一応」知っているというだけのこ とです。

「知っている」ということと、「できる」ということは、まったく別のことなのです。

「計算は一応できる」と「計算できる」との違いは、「自転車の乗り方は知っている」と「自転車に乗れる」の違いと同じです。

「おハシは『一応』使える」と「豆でも、海苔でも、おハシで自由にあつかえる」との違いです。

悩まずスラスラと正確に

計算は算数数学の言葉です。

あなたは日本語を話すとき、「どのように話すのか?」をいちいち考えますか? 単語を調べますか? 文法を調べますか?

調べることはもちろん、考えることもなく、言いたいことが浮かんだら、いきなり何も考えずに話し出しているでしょう?

その状態が日本語が話せるということです。

話すように計算できるまで

計算ができるというのも、同じです。
指折り数えたり、7×8が出てこないので7×5=35からかけ算九九を唱えているのなら、かけ算九九ができるとは言えません。

悩まないのは当たり前。考えなくても勝手に計算できて、しかもほとんど間違わない。それくらいラクに計算ができて、はじめて算数数学の授業の内容に集中することができるのです。

つまり、計算ができるというのは、「悩まずスラスラと正確にできる」ということです。

時間内にミス2個という基準の意味

計算ができるかどうかは、なにで判断すればいいのでしょう?

それは計算するときに手が止まらないかどうかです。
理想は「他のことを考えながらでも、手を止めずに計算できてしまう」です。
言いかえれば、歩くように計算できるということです。

私が開発した計算練習システム=オーシスでは、計算ができるかどうかを、

一定の問題数の計算を、決まった時間以内でミス2個以内でできるかどうか?

を一つの目安で推しはかっています。

例えば筆算のたし算ができるかどうかなら、3桁の数どうしのたし算63問が5分30秒以内にできて、ミスが2個以内であれば、

「『一応』できているのではないかなぁ」

と判断します。

基準は目安にすぎない

『一応』がつくのは、人間の脳の回転速度は人によってかなりの差があるからです。

完璧にかけ算九九を覚えていたとしても、8✕7の問題を見てから答えの56が出てくるまでの間の時間は、0.2秒の人も、0.3秒の人も、0.05秒の人もいるということです。

オーシスの教材に書いてある時間は、ゆっくり目に脳が動く人には少しきついし、普通の人には少しラクくらいの設定です。

頭の回転が速い人の場合は、うろ覚えでも、軽くクリアできてしまいます。

一応の基準はクリアしていても、思い出したり考えたりしているかもしれません。

逆にまだ基準はクリアしていないけれど、完璧に覚えているってこともあります。

だから、実際に計算しているようすを見たり、本人の「感じ」を大事にすることです。

体感が一番

計算ができているかどうかは、「問題を解く手がほとんど止まらずにできて、めったに間違えない」でしか、本当の判断はできません。

とは言っても、それは本人はもちろん、横で見ている先生や保護者の方々でもなかなかわかりにくい。だから、目安としての基準時間とミスの数を設定してあるです。

そんなわけで、計算練習の目標は「スラスラと悩まずできて間違わない」ということになります。

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