隙あれば自分語り(好きあれば自分が足り)
たまにはちょっと自分語りをしてみる。といっても仕事にまつわるキャリアの話だ。
1社目:小さい出版社
自分が最初に就職したのは小さな出版社だった。雑誌、小説やコミックなども出している会社で小さいながらもいろいろな種類の出版をやっていた。
学生時代からゲームを中心にエンタメコンテンツが好きだった私は、建築学科にいたものの、当時の建築業界のスーパー不況の状況と、その中で発生していたスーパーブラックな話を聞き、とても自分は行く気にならないとあっさりと人生の方針展開を行い、エンタメ企業に入ることにしたのだ。
出版に関する専門知識は無かったが、むしろ、よほど特殊な環境にない限り、学生が出版事業に関する専門知識を持っていることの方が少ないので、スタートラインは他の学生と一緒でしょ。と思ったことを覚えている。
それで、何とか無事に1社に入れて、そこで書籍営業や雑誌、小説、漫画等の編集、ガラケーでのコンテンツ販売等を経た。
書籍営業で学んだこと
書籍営業では社会人としての基礎ももちろん叩き込まれたが、営業先といかにコミュニケーションを上手に維持するか、信頼を得るかということと、数字をどういう形で組み立てて考えるかというのを教えてもらった。
数字の組み立てとはどういうことかというと、例えば、新刊の企画があった際に、その制作部数をどういうロジックでどう決めるか、決まった部数をどの書店にどういう風に配本するか、そのロジックは何か、ロジックの前提条件は何か。といったことをきちんと考え、説明を組み立て、プレゼンを行う。というようなことだ。
もちろん、学術的、算術的にはあまり意味のない数字となることもある。私も理系大学出身だったので、最初は計算上の有効桁数が全然ないのに細かな数字まで計算する意味がどこにあるのか? などと思ったりもした。
結果から言えば有効桁数があろうがなかろうが、最終的に何かを判断基準として製作部数は決めなければならないし、どちらにせよ変数が多すぎる、つまり変動要素が多すぎて、どうしたってどこかにふわっとした数字が混ざる。結局は数字を決めに行く手がかりとしては近しい企画から類推していくことがベースになってくるので最初から推測混じりだ。
それでも実務として数字を決め、それを関係する誰かに対して説明ができること、納得してもらえること、はとても大事なことだと学んだ。関係者が連動して物事は動いていくので、その誰かの納得はスムーズにビジネスを進めるには必要なことだ。仕事が一人で完結することはほぼない。
編集で学んだこと
私は小説の編集がやりたかったが、営業の次に配属されたのは雑誌編集だった。ちょっと残念に思ったが、それでも物を作ることが仕事にできると、とてもワクワクしたのを覚えている。
その編集の中では本当にいろいろな方からいろいろなことを教えてもらったが、今でもすごく自分の血肉になっていると思うのは以下2点だ。
1点目:文章、記事は樹形図のように構造化されていること
ちょっと言葉で説明するのは難しいが、雑誌記事に関わらず、物事を説明する文章は題、本文、キャッチ、ネーム、キャプションなどの部品から成り立っている。それらは本来きちんと構造化されているべきもので、それがしっかり作られていないと非常に読みにくいものになる、ということだ。
例えば、最初に来る題は、全体の要約である。その記事、文章で伝えたいものを端的にまとめたもので、ある意味これから読む内容の先入観を読者に与えるものでもある。小説はその認識を逆手にとって、わざと誤解させる先入観を抱かせるように章題を作ったりもする。
説明文においてはそれが無いと、1から全文を読まねば内容がわからないため、読者側はとても読む気が無くなる。
本文は説明本体。冒頭から始まって、結論までを記載する。1つの題に対して本文は1つで、本文が入れ子になることは無く、本文中に入るのはその説明の補強要素だけとなる。
ネームは本文を補強する説明であり、本文が幹だとすると枝部分だ。
キャプションは主に図に対する補足説明で、基本は短い文章であり、これが長くなるようであれば、ネームとして括り出してきちんと説明をした方が良いものとなる。
こういった構造を無視して記事を作ると、わかりにくいものになる。この教えは、編集ではなくなった後も、資料作りや文章作りで役に立った。
2点目:専門家に仕事を任せる際の役割分担
雑誌記事の編集の仕事とは、基本的にはディレクション業務だ。記事の企画は編集が作るが、そのページ構成や文章はライターさんが作り、デザインはデザイナーが作る。それを入稿してDTPでデータ化して、校正してチェックして必要な修正をいれて印刷に送る。
編集は企画のコンセプトを決めて、ライターと打ち合わせして企画コンセプトや狙いを説明し、ラフを作ってもらい、デザイナーのところにラフをもっていって、やっぱりまたコンセプトや狙いを説明して、それに合うデザインを作ってもらう。
つまり、実制作の多くは専門家にお願いすることになる。
新人編集だったころ、ラフをデザイナーにもっていった際に、デザイナーに諭されたのが役割分担の話だ。
私はその時とある商品を紹介するページを作っていて、割とフォーマットの決まった定型的なページだった。
それに対して、定規できっちりと描いた設計図のようなラフをもっていって、そこに突っ込まれた。
デザインはデザイナーである私の仕事なので、編集者は、どういうコンセプトで何を大きく見せたいのか、本文やキャプション、図などの部品をいくつ、どんな感じで入れたくて、それぞれどれくらいの文字量が欲しいのかがわかるラフにしてくれればいいですよ。と。むしろ、設計図のようなラフはデザイン余地がわからないので困る。と。
つまり、私はきちんとプロフェッショナルな相手に対して、自分の要求している必要条件と十分条件切り分けて伝えられていなかった。
その後、どんな場面であれ、プロフェッショナル相手に業務をお願いする際に、どういう部分を必須として求めていて、どういう部分に期待しているのかといったことを考えながら話ができるようになった。それは今の仕事でも生きている。
デジタルコンテンツ事業で学んだこと
ここでの体験は強烈だった、人生で最もすべてをかけて働いたのはこの時期だ。
新しいガラケーのサービスサイトの構築、すでに配信中のサービスの権利者分配の仕組みの構築と計算。権利元への権利許諾交渉。それらをすべて1人でこなさねばならず、月の残業が200時間を超え、ほとんど会社に住んでいた。
ここでは権利処理やそれ周りの契約、分配処理について学んだし、分配処理については、サーバーのアクセスログから必要なデータを抽出しコ、ンテンツDLのデータを作成し、データのDBを作成してDBに追加し、そこから権利分配の計算をするDBを作成してデータを流し、分配計算のリストを作成して経理に伝票データを流す。というシステムとワークフローを作ることをほぼほぼ手作りで行ったので、内容の理解が本当に進んだ。
契約書を締結するので、著作権の勉強もして、1から契約書を作るスキルの下地もこの時培われたものだ。
たが一番大きな学びは、あまり働きすぎると人間マトモではなくなるということだ。実際、心を壊して鬱になり、そこから逃れたくて逃げるように退職した。会社と戦えば、賠償金を得られたりなどあったかもしれないが、その時はそんな元気はかけらもなく、自分の身を守るので精一杯だった。
2社目は上場企業の経営管理
次に入ったのは、上場している大き目のエンタメ企業で、グループに出版社や映画会社、アニメ会社、ゲーム会社などがある親会社に転職し、経営管理をやることになった。
またずいぶんと仕事の方向が変わったが、1社目で懇意にしていただいた先輩や元上司から引っ張られた結果で、前職をやめて1か月ほど旅行をしたりして、何とか元気が回復してきたところにお声がけいただいて、ある意味大変ありがたいお話だった。
経営管理で学んだこと
経営管理では本当にいろいろなことをやった。15年もやっていたので当たり前と言えば当たり前かもしれない。私が入社当時、経営管理は人数が少なく、経営企画とワンセットの部署だったので、経営企画も同時にやっていたような感じだった。
各事業会社の会計周りの数字とKPIをもらい、わかりやすいように分析して経営者(親会社の社長などの役員)に報告を行うことを基本業務として、親会社の役員がグループ会社の管理をする上で必要な、事業会社の社長との定期的なミーティングなどのセッティングやそのための資料作り、経営方針の素案の作成や、各事業会社の経営者からの経営上の戦略相談、グループ会社間の取引の調整など、やることは山ほどあって、個別最適に陥りがちな部分を全体最適にするべく提案して調整して動くということを中心にやっていた。
もう1つ大きなミッションはグループ全体の予算・中期計画の策定と見通しの作成、管理で、グループ会社間での取引関係も多かったので整合の取れた計画にするのにすごい手間と時間のかかる業務だった。
また、経営企画も同一部署だったのでM&Aなども対応し、デューディリも出す方、受ける方両方とも経験したし、経営数字を把握している部門ということで、監査や税務調査などへも協力した。
おかげで、出版事業やアニメ事業、映画事業、ゲーム事業などはその事業構造や、業界のプレイヤー関係、全体的な市場規模や数字感にはとても詳しくなれたと思う。
また、グループの合併や統合なども多かったため、10社以上をまとめて合併させて、管理を統合するというようなことも経験した。経営者の求める情報が出せるように、管理コンセプトの設計からしなおして、ワークフローを整えて、データを整備する。なかなか手間のかかる仕事だったが、そういう意味ではなかなか他では得られない経験が得られた。改めて振り返ってみても日本という大きな枠でくくってもなかなか珍しい経験だったように思う。
現在に至る
そして今は小さな会社で、やっぱりエンタメ系のコンテンツに関わりながら会社の管理全般と経理、財務、人事、企業法務などをやりながら、コンテンツのIP許諾の契約や営業活動をしている。
当たり前だが前職の方が給料は高かったが、前職は管理職で、部長という立場だったので部下も多く、非常に忙しかった。
そこを考えると、今は管理2名で回しており、役割は広いが物量はさほどでもなく、気楽な立場で仕事ができていて、趣味に興じる時間もありQOLは上がっているように感じている。
多少稼ぎが少なくとも、オッサンの一人身は「好きあれば自分が足り」るのだとしみじみ思っている。