ヤンキーとセレブの日本史 Vol.3 飛鳥奈良時代 その2
法律を作って国を治めるというセレブのターンの始まり
そんな中、天智天皇が死に、天智天皇の息子と弟で跡目争い(壬申の乱)が勃発して、勝った弟が天武天皇として即位します。
この抗争は長く後を引くことになります。ここから天皇家も「天武系」「天智系」の2つの派閥に分かれていきます。
抗争が終わった後は、自分の味方を優遇して、有利な制度を作るのはいつの時代も定石です。
まずは身分制度を導入します(八色の姓:やくさのかばね)。能力ではなく、天皇に近いほど偉いという制度にしました。
誰だって身内贔屓したいです。安定しているときは能力高い人を抜擢するよりも身内優先でやったほうが軋轢もなくてやりやすいに決まっています。特に抗争の後は、付いてきてくれた子分に褒美を与えなければなりません。
そして、日本書紀・古事記という一門の歴史を書いた書物を作ります。神の子孫で立派な政治を代々行ってきたことをアピールする書物を作ることで、天皇家がすげーということをみんなに理解させることが目的です。
そして、天皇が代替わりした後に大宝律令という法律ができました。
これを読んでいるヤンキーの皆さんは法律というと一番馴染みの深い刑法を思い浮かべると思いますが、実は法律にはどんな役所を設置したり、そこにどんな権限を持たせるかとか国の設計図が書いてあるものもあります。
支配を強固にするためには、「誰がシマを治めるか」「上がり(税)をきっちりとれるか」というところが一番大切です。
大宝律令の「律」は刑法ですが、「令」の部分に、この大事な2つのポイントを抑えた国の設計図が書かれているのです。
これによって、天皇の支配が強固になり、ついでに都も奈良の平城京に遷りました。
セレブのターン。貴族さっそく国を混乱させる。
貴族のなりあがり
大宝律令を作るのに尽力したのが大化の改新の時に出てきた中臣鎌足(途中で名前を変えて藤原鎌足)の家系の藤原不比等という男です。
国の絵図を書いたことですごい権力を持つようになります。
これだけ国の規模が大きくなるともはや暴力でどうこうするヤンキーの時代ではありません。
中国から入ってきた最新の法・行政の技術を使って、効率よく国を治める仕組みがなければ回らなくなってきます。
藤原不比等はヤンキーではなく、勉強を頑張ってきた人です。腕っぷしではなく、学問の積み重ねがなければ仕組みは作れません。
これを足がかりに藤原一家が力を得て、これからしばらくセレブのターンが続きます。
しかし、どんなに貴族を極めても貴族は天皇になれません。
どうしたら天皇に強い影響力を持てるかが貴族の一番の関心事項です。
そこで編み出されたのが「外戚」という技です(前からもちょくちょく使われてはいましたが)。
自分の娘を天皇と結婚させ親戚になったら天皇に影響力をおよぼすことができます。
そして、もう少し先の話ですが、生まれた子どもを天皇にしたら、天皇のおじいちゃんとして口を出し放題。しかも孫は小さなうちに即位させれば言う事聞くのはまちがいなしという技を使うようになりました。
優雅にラグジュアリーを愛でていたら国がピンチになった
敵もいなく、権力も自由にできる。
そうなった時に優雅にラグジュアリーを楽しむのが貴族です。
白村江の戦いで弓を引いた唐とも手打ちをして、遣唐使を復活させて大陸の優雅なラグジュアリーを輸入して愛でます。
そんなものよりも仏教の経典とか偉いお坊さんとか連れてこようと言った皇族(長屋王)までぶっ殺してやり放題です。
不比等は娘の光明氏という娘を皇后にさせ、息子4人と一緒にやり放題になりました。皇族ではない血筋が皇后になるのはこのときが史上初です。
しかし、この頃飢饉がおきたり、地震が起きたりして国民はとても大変な生活をしていました。
極めつけは、中国との貿易を通じて入ってきた天然痘という流り病です。これで藤原4兄弟が全員死んでしまい、一旦権力が皇族の方に戻ります。
国民はとても大変な生活をしていたのですが、基本的に貴族は下々のことなど真剣に考えていないので、あいかわらず税を取り立てます。
いや、まったく気にしていないわけではなくて、どうにかしなければと思っているのですが、その方法に現実感がないのです。
今でも国民から見るとリアリティのない政策が中央省庁から出てきたり、本社から現場のことを理解していない命令がでることがあるのではないでしょうか。
現場との距離が離れると解決策が抽象的になりがちです。
ちなみにこの時代に貴族たちが考えた解決策は仏教です。貴族たちは「疫病や飢饉が治まってまたカツアゲできるようになってください」と願い、全国に国分寺という寺を建てました。仏が救ってくれるはずだと。今でも全国に国分寺という地名が残っていますね。
しかし、国分寺では効かなかった。縁起が悪いと都の場所も遷してみたけれどだめだった。そこで、最終的には大仏を作ることにしました。
荘園とヤクザの芽生え
そんなことしてるから、農民は土地を捨てて逃げ出し始めました。
土地は国のもの。一生懸命働いても上がりをむしり取られる。やってられないです。
そこで仕方なく、自分で新しく耕した土地は3代まで渡って自分のものにしていいよという法律が出ます(三世一身法)。しかし、ダメでした。最後には農民が逃げ出します。
それで、自分で新しく耕したらずっと自分の土地だよという「墾田永年私財法」という法律ができます。
これをやって一番喜ぶのは貴族と寺。
現代で言えば資本家ですね。
逃げ出してきた農民を囲って、田畑を開墾させまくります。
そうしてシマを広げていく。シマを広げればいずれ強くなって権力をもとめていくようになるのです。暴力が通用する時代、荘園を広げた領主はヤクザ化していくのです。
その後もめてまた藤原のターンに
その後も権力争いのもめごとは続きます。
天皇を継いだ孝謙天皇という女性が、銅鏡という僧侶といい感じになりました。
それを諌めた藤原一家の恵美押勝(藤原仲麻呂という名前なのに中国風の名前に改名した)が反乱を起こしたり、天皇が彼氏の銅鏡を天皇にしようと画策したりして、政治が色々と混乱しました。
が、最終的には、藤原一家と仲の良い天皇を即位させ、ここからしばらく藤原のターンになっていくのです。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?