あとがき 苦しみを抱えるあなたへ
私はこの文章を私と同じように機能不全家庭に生まれて生きづらさを感じていている人に読んでほしい。私は10代は親からの過剰な干渉に苦しみ、20代30代は、その後遺症である心的外傷ストレス症候群と解離性同一性障害に苦しんできた。「なんで?どうしていつも私はこうなんだろう?助かりたい、変わりたい」と思いつつもどうすればいいのか、自分の性格がおかしいのか、病気なのか何なのかさえ分からず。ずっと何も見えない霧の中で20年以上もの日々を過ごした。私は私と同じような苦しみを抱える人たちと私の人生を共有することで、その人の痛み共有し心の中でその人と手を握って応援したい。「痛かったね、つらかったね」と言ってあげたい。そして私を回復させてくれた様々な人の助けや偶然の出来事、めぐり合った治療方法を紹介することで、私に似た問題を抱えて、今まさに生きづらさのど真ん中にいる人が自分でなんとか抜け道を見つけるきっかけになればと思っている。
そして、私が辛かった日々・心の痛みの記憶をここに書き残すことで、私自身が忘れてしまわないようにと願う。自分が痛みを知っているから、人の痛みもわかるのだから。PTSDにより日常的にぶり返す生々しすぎる痛みは取り除くべきだが、自分が苦しんだ記録は私の生きてきた経験であり、年輪なのだ。忌々しいのは、ぶり返す痛みそのものなのであって、痛みにのたうち回りながらも必死でこれまで生きてきた記録は、大切にしてもいいと思う。
また私自身の痛みの記憶は、私の両親や私の祖父母たち、そして先祖代々にひきずってきた痛みの記憶であるとおもう。それは愛されたいという思いと愛されなかったという思いがこんがらがって引き起こされた悲しい連鎖の記憶なのである。この悲しい連鎖を自分の代で断ち切るためにも私は、夫や子供達と毎日を楽しく穏やかに過ごしたいとおもうし、それを妨げるものは何であっても自分たちの前から退けていくことに容赦はしない・・・ことを自分に許そうと思う。自分と自分の家族の平安を優先させるのだ。そしてそれに後ろめたさを持たないことを自分に許す。その決心を固めるためにも私は自分の体験をここに書き留めたかった。この文章は、墓標。機能不全家庭に生まれて、その後も長らく病み続けた私の40年を供養するためのお墓だ。そして、これを書くに至るまでに歩んできた途方もない時間と右往左往してきた不恰好な毎日が、自分と自分につながる血の記憶に対する祈りなのだ。私の中に流れる今は亡き何人もの人々の愛されたかった悲しみの記憶を忘れない。そして彼らの寂しさを抱きしめてあげるように自分を抱きしめながら生活する。そして、またバタバタとした日常に翻弄され、いつしか辛い時が再び訪れた時、自分が書き留めたことを振り返りたい。まるで墓参りするかのように。そしてまた日常を歩き出す。神様に召されるその日まで。