過保護は、百害あって一利なし
今日は日曜日、伯父が教頭を勤めている小学校の運動会を見に行った。
見ず知らずの子供たちを無条件に可愛いと思えたのは何年振りだろうか。
今日のテーマは『過保護』とは何か。
私は幼少期に親に過保護に育てられ、私の母からも「過保護に育てた」と言われた。
『過保護』は過干渉の一歩手前の状態であり、子供が失敗しないように目の前の石ころを全部取り除くこと。
実生活に例えると、健全な親なら選択肢を子どもに委ねるところを親が子供の人生を全て決めてしまうこと。
私が今まで人間関係が上手くいかなかったり、虐待されていないのに愛情不足を感じたり、短期間での転職を繰り返すなどの後遺症が大人になって出てきます。
親からの「レールを敷いてあげた」という言葉、その一言が胸につっかえて私は親だけでなく他人のアドバイスを聞かず、独走するようになった。
そして就職先も母が全て決めてしまい、私が希望しない会社も受けるように指示したため、私は自分が本当は何をしたいか分からない大人に成長してしまった。
「私はいつも人生の選択肢を間違え、いつも不幸な道に進んでしまう」とカウンセラーに相談したところ、
「今まで選んできた仕事、本当にあなたがやりたかった仕事でしたか?」と質問された。
その時私は泣きながら首を横に振った。
その翌週に母も一緒にカウンセリングを受けることになったが、今まで私の人生の選択肢を奪ってきたこと、ありのままの姿で振る舞うことを許さなかったことなどを深く反省していたようだ。
私も自分が無く、他人に選択肢を決めてもらったり楽なほうに逃げてばかりいたが、カウンセリングを受けた後、やっと自分が本当はどんな仕事に就きたいのか本音で母に打ち明けることが出来るようになった。
現在勤めている職場は自分で決めただけあって、仕事が忙しくても乗り切れるようになっていた。
また、ありのままの姿でいられるため、周りもしっかりと私のその姿を受け入れてくれた。
私には辛い過去があり、過去は変えることは出来ないし、それによって深く傷ついた心は完全に修復は出来ていない。
それでも自分の負の感情と向き合い、親との関係も良くなったので、気持ちが軽くなって良かった。