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愛着障害の偉人から学ぶ
こんにちは。私は、NPO法人で心理カウンセラーをしています。
私自身、HSP体質で過去かなりの愛着障害を抱えていました。同様のお悩みや苦しみのご相談も多くいただきます。
そこで、多くの抱える問題が愛着の安定で解決できることを4回の記事に分けて書いています。
最終回の「HSPの幼少期の足りなかった愛着形成と心の傷を癒して前に進む方法のpart4」は今週に挙げる予定でいます。
その前に、不安定な愛着は現代だけの問題ではないこと。家庭での親の育て方による症状であることを知っていただきたいと思います。長くなるのでpart4と分けてこの記事を書くことにしました。
愛着障害の偉人たち
実は、複雑で厳しい生育歴の影響で大人になっても愛着障害を引きずり続けた偉人はかなりいます。
例えば、川端康成、夏目漱石、太宰治、中原中也、ビル・クリントン、バラク・オバマ、マリリン・モンロー、ヘミングウェイ、ウィニコットetc
ここに名を列挙した人の職業は、作家、詩人、大統領、女優、精神科医など様々です。
その中でも2004年まで千円札の顔だった有名な夏目漱石について詳細を交えて取り上げたいと思います。
ご存知の人も多いと思いますが、幼少期から波乱の人生だった彼の愛着スタイルをご一緒に考察していきましょう。
漱石の成育環境
彼の本名は夏目金之助。母親は後妻で、41歳で漱石を出産したことをみっともないと恥じていたそうです。
裕福な家庭にもかかわらず、明治維新の激動の影響なのか漱石だけが生まれてすぐに、貧しい古道具屋の夫婦の元に里子に出されました。
その後すぐに、漱石の姉が古道具屋の前を通ると不憫な思いにかられたのでしょう。篭にに入れられ、店先に置かれていた漱石を実家に連れ戻ります。
しかし、1歳半過ぎてまた養子に出されます。
その 養子先では、養父母に溺愛されても子どもながらにその愛情が自然なものではなく押しつけがましさを感じていました。
実は、漱石の養母は演技性パーソナリティの気があり二枚舌を使う人でした。その為か、漱石は可愛がられていた養母より養父に愛着を感じていたようです。
この頃には、幼いながら我儘をいっては養父母を操る手法も覚えます。
これも、愛着障害の症状にもあります。
その後、漱石が7歳の時に養父母の仲が悪くなり養母との二人暮らしや、養父とその愛人と暮らすこともありました。
ついに漱石が8歳の頃、養父母が離婚し生家に連れも戻されますが、実父は、漱石に厳しい態度で接し可愛がることがなかったそうです。
生家に戻ってから漱石はそれを喜んでいたようですが、しばらく両親を祖父母と思い込んでそう呼んでいたのに、両親はそれを正さなかったことにも違和感を感じます。
このように、漱石は生まれてから大人の都合でたらい回しにされ、養父母との愛着が形成されてもそれを引き裂かれ、実父からは愛情を注いでもらえず、13歳頃には実母を亡くして様々な愛着の傷を生涯残したことでしょう。
成人後の人生
彼は、明治の時代に政府の命令でイギリス留学もされた知的な人ですが、大人になってから自分に自信が持てずに教師の職に不安を抱え職場を転々とします。
29歳で結婚しますが、頑固で気が短く家庭で暴力を振るうこともありましたが、癇癪を起こさない時は優しい夫だったという記述があります。
結婚した妻鏡子は、漱石の癇癪を病気の症状と思い決して別れることを考えなかったそうです。
残念ながら私は観ていないのですが『夏目漱石の妻』が「土曜ドラマ」NHKで2016年9月24日から10月15日に放映されていたそうです。
そのような妻の忍耐強い支えを得ていたこともあり、彼は愛着障害の悲しみや自己矛盾を抱えながらも小説家としてわずか10年で程で多くの名作を遺しています。
彼の幼少期の経験を加味した名作「吾輩は猫である」「坊ちゃん」を読まれた人も多いことでしょう。
晩年は、入退院を繰り返し神経衰弱で参禅も行いますが、ついに49歳で胃潰瘍が悪化して亡くなります。
漱石の愛着スタイル
夏目漱石の愛着スタイルは、幼児後期は統制型の愛着パターンを示し、養育者が転々と変わるという体験で回避型愛着スタイルを強めていったようです。
回避型愛着の詳しい症状と、他の愛着の型については下記をご参照ください。
この回避型愛着障害は、人を信頼することが難しく親密さを避けるので、人間を安全基地とするのは難しい特徴があります。
そこで、自分の思いをありのまま表現して書くことでカタルシス効果となり愛着の傷を癒し安定に寄与するので、亡くなるまで小説を書くことが彼の安全基地となったことでしょう。
そして、献身的な妻の鏡子も漱石の安全基地として一助になっていたと想像します。
愛着の絆の重要性
夏目漱石の生育歴を鑑みると、彼が両親や養父母との安定した愛着や絆を培えなかったこと。それにより、大人になって精神的な問題と身体的な病の問題を抱えていたことを知ることが出来ました。
漱石は、人並みに結婚して家庭を持ち、英語の教師後、小説家としてすぐに成功し有名にもなりました。
しかし、その成功が彼を満ち足りた幸福にすることはなかったようです。
彼が両親との愛着の絆があれば、きっと人生の捉え方は大きく違っていたことでしょう。
私たちの親との愛情の絆は、私たちの生命と幸福な人生に関わる最も重要なものだと感じます。
そのことは、日本で100年ほど前になされた恐ろしい研究からも実証されています。
それは、孤児の赤ちゃんに整えられた良い環境と十分の栄養豊かな食物を与えて、コミニケションだけは一切与えなかったら何語を話すのかという研究がなされました。
世話する人から、スキンシップどころか一切目も合わせないという養育がされたそうです。
結果は、悲惨なことに2歳までに全員が死亡しました。
私たち人間の子どもは、どれほど養育者の愛情に依存しているのかがお分かりになるでしょう。
また、虐待家庭の子どもは、重度の愛着障害となり精神疾患を発症したり、何かに依存せずには生きていけなくなる場合が多くあります。
では、心理学が発展した現在は、不安定な愛着を安定させるために、どんな効果的な方法がどれくらいあるのでしようか。
その点は、「HSPの幼少期の足りなかった愛着形成と心の傷を癒して前に進む方法part4」で、岡田尊司先生が実践を交えて推奨される方法をご紹介します。
本日もここまでお読みくださりありがとうございました。
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