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コムスン伝説11 同じ釜の飯を食った仲間 コムスンよ永遠に

PSWに戻った私は長期入院者の退院促進に邁進した。対象者は介護保険申請をしてケアマネからコムスンに依頼した。

このケアマネがやり手だった。こういった優秀はケアマネには優秀な取り巻きがいる。へルパー、デイサービスなど本当に熱血な担当だった。病院としては精神科訪問看護と外来そして不調時の入院受け入れである。

ケア会議も狭い患者様のお部屋で実施した。時間が割れば互いの事業所を訪問して情報交換を欠かさなかった。

何でもコムスンにお願いするので、私は上司から「コムスンから何かもらっているの?」と冗談を言われたこともある。実際にコムスンはそんなことはしない。

我々の連携が素晴らしかったのだろう、事業部長やケアマネも挨拶にきた昔、一緒だった人もいた。

私は「コムスンではないけど、心はコムスンです。」といって励ましあった。

そんな中であの6月を迎える。

コムスンショックだった。

コムスンのスタッフは「あれを指示した人間にお咎めがないのか!」と怒っていた。私も怒った。幹部だけではない行政のやり方もひどかった。さらに何も知らないでコムスンを「ハイエナ企業」と揶揄する市民系の大学の教員にも腹が立った。現場は利用者様のために日夜がんばってきたのにそんなことを言われるのは不快だという意識だった。

やはり、私は「コムスン」だったのだと思った。

草創期のあの熱意が私の基礎になっていることを再認識した。

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