余白を感じさせる事の大事さ
相手が想像する余白があるって大事ですよね
今回はそんな話をまとめました
※自分自身が余白を持とう的な話はこちらから
↓
余地ではなく "余白" な氣がしている
まあ単純にイメージですし言葉遊びの類なのですが、僕は余白の方がしっくりとくる
各々の意味合いとしては
なのですが、
それを踏まえた上でも余地というのはちょっと僕のイメージではなく...
やはり "余白" がしっくりくるんですよ(2回目)
イメージだとこんな感じ↓
※あくまで僕のイメージですw
余地に対する僕のイメージは、範囲内の残り限られた空間なイメージなのに対して、
余白は有形である作品も無形のイベント的な物も含めて原作(オリジナル)を残しつつも、
『如何様にも塗れる白いキャンパス』的な印象や『想像する間が広い』イメージが感じられるからでしょうかね(о´∀`о)
しっかりとした言語化が難しいですが...
とりあえず 余白≒インスパイアのような…意味変のような…
まあその事象をいかに多面的に捉えさせられる事が出来るのかどうかだと思います
さて話を戻そう
僕がなぜ余白という言葉にこだわっていたのか、ご理解頂いた上で話を戻しますが、
そもそもタイトルの通り、何事にも受け手に余白を感じさせるという事はかなり大事だと思っています
なぜか?
その作品(有形無形問わず)の余白が見えると、見た人自身がより【切り取りたい場所(瞬間)を、その人の想像力の赴くままに、新たな切り口でその作品を切り取ってくれる】んですよね
まあ余白が見えなかったとしても個々で切り取るということは起こりますが、それがより起こりやすくなる訳ですよ
空間というか隙を見せるというかまあ未完成のような状態と同じかな~と
やはりある程度の完成形が見えてしまうと、それ以上の発展は少ない
だからこそ完成形を目指すのではなく、二次創作できる余白を目指すべき
そこから生まれた二次創作からインスパイアされ、今度は完成形に少し近づいた形というものを、自分自身が氣づけるかもしれない
どんな形でも、余白は感じてもらえるように残しておく
相手の想像力が介入できる余白...これが大事
施術にも余白という概念
余白という概念は施術でも同じ事です
患者さんに対して、何も考えずがっつり介入し過ぎてしまう事(刺激量・刺激数・コーチング・カウンセリング・刺激内容等)は、全てを解決するが如く患者さんに想像の余白を与えない
※あえて如くと書いた通り、 施術者の介入が全てを解決する事はありえませんし、それは術者の錯覚に過ぎません
ちなみに、コーチングやカウンセリングはどこを狙うべきかをまとめたnoteはこちらから
話を戻しましょうw
余白を与えないという事は、患者さんの自己治癒の阻害になってしまうかもしれないですし、何も考えず依存させてしまう事にも繋がるような氣がしています
だからこそ
を、意識すべきで、その余白も人によって多く残したり少なくしたり、同じ人でもフェーズやその時々で余白の振り幅を変える
その辺りも含めて思考を止めないのが大事ですよね
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