つらい経験(苦難)が用いられる
この投稿では2024年10月20日(日)の十日町教会の日曜礼拝、創立107周年記念・中越地震を覚える礼拝における聖書メッセージを掲載しています。
聖書:ルカによる福音書10章25~37節
メッセージ:
創立107周年記念礼拝 教会の歩み
本日は創立107年を記念する礼拝、そして新潟県中越地震から20年を覚える礼拝をお献げしています。『十日町教会八十年史 上』から十日町教会の設立に関わる文章を読みました。すでに十分知っているという方々も、今年新しく来た牧師とともに今一度創設期の事柄を思い起こす時を過ごしていただければと思います。
十日町教会の設立には初代の執事を務めた山本直次郎およびその妻山本てつが大きく関わっておりました。元々は関西の大阪で商人をしておりましたが倒産の憂き目に遭い、苦境の中で浪花教会の門を叩き、1910年(明治43年)11月に洗礼を受けました。その後直次郎は故郷の小千谷に引き揚げ、妻てつの実家小千谷の商店が十日町に支店を出すにあたって初代支店長に任命され、十日町に赴任します。しばらくして東洋宣教会十日町伝道館の信徒たちとの交流が始まりました。
1917年(大正6年)には直次郎は十日町織物の問屋を初めて業績を伸ばし、十日町在住のキリスト者たちが自然と彼のところに集まるようになっていました。直次郎は新潟在住の宣教師チャールズ・B・オールズが巡回伝道に来た機を捕らえ教会設立を話し合い、チャールズは新潟教会牧師の長田時行と相談し同志社大学の神学生の夏期伝道派遣を同志社大学に要請します。同志社大学は熊野盛造を十日町に派遣し、約2ヶ月間早天祈祷会と夕べの集会を連日開催しました。このことによってキリスト者たちの信仰の炎が燃え上がり、8月31日に15名が洗礼を受けて教会設立の基盤が整いました。さらに10月23日には7名が洗礼を受け、洗礼式の後に日本組合教会十日町基督教会設立式が行われます。設立式に出席した信徒は34名でした。引き続き設立総会を開催し、仮会堂を十日町四ノ丁大瀧幸一郎方と決め、執事山本直次郎、書記渡邊保忠、大瀧幸一郎、会計庭野忠太が選任されました。その後1917年11月20日に初代牧師の内田政雄を迎えます。
十日町教会の設立にあたって欠かすことのできない山本直次郎のキリスト教信仰とは、倒産の憂き目に遭ってもそれで折れてしまうのではなくそこから起き上がっていく復活信仰でありました。このような歴史の上に私たちの教会が建てられているということを改めて心に留めつつ、私たちもこの十日町の地で引き続き復活の信仰に支えられ力をいただいて歩み続けられるよう祈り求めたく思います。
新潟県中越地震から20年
十日町教会の設立記念日である10月23日は奇しくも新潟県中越地震が起きた日でもあります。私たちはこの日に追悼の意味を込めてコンサートを行いますが、そのチラシには中越地震についてこのように記しています。「2004年10月23日17時56分、新潟県川口町(現長岡市)を震源とする震度7の大地震が発生。余震が相次ぎ死者68人、家屋の倒壊など甚大な被害を出した。十日町教会は二日後に教会内にボランティアセンターを開設、各地からの支援者と共に災害援助活動を展開した。礼拝堂は、地域の方々の避難所として、またボランティアたちの宿泊所として使われた。その後も冬季除雪ボランティアを含め延べ2000人のボランティアを受け入れた。」新潟県中越地震が発生したのは新井純先生の時代でしたが、十日町教会は新井先生を中心に被災支援活動に尽力され、その経験は2011年3月11日に発生した東日本大震災の際にも活かされ、いち早く現地に入って支援活動を展開し、東北教区被災者支援センターエマオの設置に関わるなどの働きがなされました。
大地震を経験することはとても恐ろしくつらい経験です。中越地震の際には余震を恐れて自動車内で寝泊まりする避難者も多く、その方々が狭い車内で長時間、同じ姿勢をとり続けたことで足に血のかたまり=血栓ができてしまういわゆるエコノミークラス症候群になって命を落としてしまう悲しい出来事も起きました。地震で家を失い、そこにあった大切な物や思い出を突然に奪われて心に穴が開いてしまう経験をされた方がたくさんいます。その傷は20年経っても完全に癒えるものではありません。地震など災害が起きた時に私たちは「どうして神様」という思いを持ちますが、その答えが与えられることはありません。どうやっても分からない事柄に私たちは沈黙するしかありません。しかしなぜそのような出来事に襲われたのかということには沈黙するしかありませんが、つらい経験やマイナスな経験をした私たちを神は見捨てることなく愛し続け、傷だらけの私を用いてくださる。私たちの神はそのような方なのだということは言えるのではないでしょうか。
そらまめくんのベッド
息子が小さいころ好きで良く読んでいた絵本に『そらまめくんのベッド』(福音館書店、1997年5月)があります。そらまめくんには宝物があります。それはふかふかのさやです。ふわふわで、わたのようにやわらかいベッドでした。そらまめくんはえだまめくんやグリーンピースくん、さやえんどうさん、ピーナッツくんに「そのベッドでねむってみたいな」とお願いされますが貸してあげません。するとある日、そらまめくんのベッドが無くなってしまいます。探せど探せどベッドが見つかりません。みんな初めは「ぼくらにベッドをかしてくれなかったばつさ」と言い合っていましたがだんだんかわいそうになってきてそらまめくんに自分たちのベッドを貸してあげることにしました。しかしえだまめくんのベッドは小さく、グリーンピースくんのベッドは細く、さやえんどうさんのベッドは薄く、ピーナッツくんのベッドは硬いのです。何日も何日もベッドを探し回っていたそらまめくんはついに自分のベッドを見つけることができました。そらまめくんはうれしそうにベッドを持って帰ると、みんなも喜んでくれてパーティーをしました。そしてその夜はみんなでそら豆くんのベッドで眠ったというお話です。
そらまめくんにとって大事な宝物であるベッドが無くなってしまったのはとても辛くて悲しい経験でした。しかし彼はその経験を通して友だちの優しさと出会い、自分自身もいじわるな性格から優しい性格へと変えられていきました。
あるサマリア人のたとえ
本日の礼拝で朗読された聖書はあるサマリア人にまつわるイエスのたとえ話です。たとえの内容としては他のイエスのたとえ話と異なり聞いてすんなり理解、納得できるたとえだと思います。ただたとえの中で疑問に思うことがあるとすればどうしてサマリア人は道に倒れていた、裸で瀕死の状態の人を助けたのかということです。そこを通りがかった祭司とレビ人はその人を助けることなく道の向こう側を通って去っていきました。旅をしていたサマリア人はその人を見て「憐れに思」ったと言います。別の聖書だと「気の毒に思」ったと訳されていました。ここで使われている元の語は「はらわたが動く」という意味の言葉です。はらわたって内蔵ですから私たちが意識して動かせるものではありません。それは無意識に動きます。旅をしていたサマリア人は道に倒れている人を見つけると無意識に心を動かされて助けなければと思ったのです。それはどうしてでしょう。私は彼もまた旅をしている時に似たような出来事に遭い、助けてもらった経験があったのではないかと想像しました。だからこそこのサマリア人は倒れている人を見て憐れに思い、危険を顧みることなく心突き動かされて介抱し、さらには宿屋まで連れて行って最後まで面倒を見るということができたのではないでしょうか。
神戸のホームレス支援
私は学生時代、夜回りというホームレス支援のボランティアをしていました。その時に全国のホームレス支援団体が集まって情報交換をする交流会に参加して神戸YMCAの方から「他の地域に比べて神戸はホームレス支援が充実していて理解があります。それは私たちの地域が阪神淡路大震災を経験したからです。たくさんの人が寒い時期に体育館などで過ごしてホームレス生活がどれほど大変なのかを肌身で感じました。その経験があるから神戸の人たちは比較的ホームレス支援に理解を示し協力的です。」と聞いたことを覚えています。私がこの話を聞いた時代、世間ではホームレス自己責任論、あるいはホームレスは気楽な暮らしをしている人たちという誤解、差別、偏見がありました。しかし神戸の人たちは震災を経験しホームレス生活というものがどれほど大変であるかを味わったのです。先ほど『そらまめくんのベッド』の話をしましたが、まさにつらい経験が他の人のために活かされるという良い例ではないでしょうか。
つらい経験が他者のために用いられる
私たちの人生にはつらい経験、悲しい経験、できれば経験したくないマイナスの経験があります。それは紛うことなき事実であり、なぜ私たちがそのような経験をしてしまうのかは残念ながら分かりません。しかし私たちの信じる神は、そこで私たちを終わらせない方です。そのような経験をしてしまった私たちにいつも寄り添い、そんな私たちを用いて本当の愛の行為へと押し出してくださる、そんな方です。十日町教会の設立にあたり尽力した山本直次郎は倒産の憂き目に遭いながらも復活の信仰を与えられて立ち上がり、十日町に移り住んでからは周りにいる人たちを愛し教会を支えました。また十日町教会が新潟県中越地震を経験した際には教会が地域の被災支援のために立ち上がって礼拝堂を開放して奉仕することを通して神を愛し、隣人を自分のように愛することを実践しました。そしてその経験は東日本大震災の際にも発揮されました。私たちは今週23日水曜日に新潟県中越地震から20年を迎え、この時を覚えて追悼の祈りを捧げるコンサートを開催します。しかしそれだけでなく今年の1月1日に発生した能登半島地震、またその後に発生した大雨洪水被害を覚えて募金箱を設置して被災地に心を寄せます。
つらい経験をした私たちに寄り添い、そのような私たちを他者のために用いてくださる神さまにお応えして神を愛し、隣人を自分のように愛する働きへと押し出されて参りましょう。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?