マイ・フェア・レディ(1964)
一歩踏み出す勇気を与えてくれる
女性の憧れが詰まった不朽の名作
失業中に観て、感激で涙が止まらなかった映画です。観る前は、育ちの悪い女性が美しい淑女へと変身するシンデレラストーリーという位の情報しかありませんでした。主演はオードリー・ヘップバーンだし、乙女心を刺激するだけの甘~いラブストーリーかと思っていました。
ところが、コミカルで楽しいし、物語はうまくまとまっているし、って、私が今さら言うことではないけれど、とにかく面白い!
特に、私がぐっときたのは、’60年代のイギリスに歴然と存在した(今でもあるのかもしれませんが)階級社会を皮肉り、あくせく働く労働者たちの世知辛い現実にも触れていること。そして、そんな労働者の代表として、美しく生まれ変わったヒロイン、イライザを巧みに演じたオードリー・ヘップバーンが何と言っても素晴らしい!
【ストーリー】
舞台は1960年代のロンドン。下町出身の花売り娘イライザが、彼女のひどい下町訛りをめぐり、高慢な言語学者ヒギンズ教授と口論します。「そんな話し方じゃ、一生下世話な花売りだ」とヒギンズに言われ、息巻く勝気なイライザ。しかし、現在の不安定な生活を改善したいイライザは、ヒギンズに言語のレッスンを頼みに行きます。
ヒギンズはイライザをにべもなく帰そうとしますが、温厚な紳士のピカリンズ大佐が見かねて「この娘を完璧なレディに出来るか賭けよう」と助け舟を出します。かくしてヒギンズの好奇心と虚栄心を満たすための実験台となったイライザは、ヒギンズ家でレディになるための特訓を受けることに。
ヒギンズのスパルタ指導に不平たらたらのイライザ。対照的な2人の丁々発止のやり取りがとにかく愉快。声質を変え、荒っぽく話すイライザは本当に粗野で、あの可憐なオードリーとはにわかに信じられません! これはアカデミー賞ものの演技と思いきや、実際は主要部門の中で主演女優のオードリーだけがノミネートされていないとのこと。これはオードリーが実際に歌ってなかったから、と言われているそうです。
イライザがレディ修業に励む一方で、彼女の元いた世界では、イライザに酒代をせびる飲んだくれの父親を中心に、労働者たちが「ほんの少し運が良けりゃ、遊んでくらせるのに~」なんて、気楽に歌い踊っています。この父親は、「娘をやる代わりに」とリッチなヒギンズにお金をせびりに来ますが、どうしようもない無責任男に見えて、実はお金を持つ怖さを知っています。父親が拝金主義者たちを皮肉るラストがとにかく小気味いいのです!
中盤、ヒギンズはやっと綺麗な話し方を身に付けたイライザを社交界デビューさせることにしますが、イライザが貴婦人と認められれば、自分の腕が認められたことになります。そんなヒギンズの虚栄心を満たすためのテストとも知らず、イライザは美しいドレスを身につけて現れます。ここはオードリーの真骨頂と言えるシーンで、私の大好きなシーン。清楚なジバンシーのドレスを着て、恥ずかしそうにドアから現れたイライザの輝くばかりの美しさにいつも涙が溢れてきます。美しいものを見ると感動で涙する、といいますが、私の涙はまさしくその涙。粗野な頃のイライザとのあまりの変わりように感激し、イライザという役だけにではなく、オードリー自身の奮闘に感動してしまうのです。
この後、イライザは社交界で立派なレディと認められたものの、共に苦労するうちに芽生えたヒギンズへの愛が届かずに苦悩します。終盤は、まったくそりの合わないはずだったイライザとヒギンズの恋の行方が描かれます。
女性の憧れを体現するような夢物語ですが、社会問題にもきちんと言及しているのがこの映画を好きな理由なのですが、当時、一緒に見ていた女友達から「昔らしい話だよね」と言われて、ちょっとプチっと来た記憶があります。なぜなら、「ああいう階級社会って今はもうないよね」と言われたのですが、今なお、どこの国でも貧富の差は歴然としていますし、何より、格差社会に苦しんでいた私は、日本も階級社会だと思っていたからです。
生まれながらに幸せで順調に人生を歩む人がいます。でも、私はそうではない。だから、そういう人を羨む気持ちもあります。でも、どんな環境でも、誠実に頑張って生きていくことが、どうやら私の人生のようだし、苦労と挑戦の連続の人生を受け入れようと、その時思いました。あれから10年以上も続いているのは、さすがに辛いけど……(-_-;)
イライザは外見だけでなく、心が誠実で美しかったから幸せを手に入れることができたのでしょう。私も、私なりの『マイ・フェア・レディ』な人生を送れるように頑張りたい!と改めて思います。