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バトンを渡すよ


広島へ行ってきました。夏から計画していてピュッと行きぴゅっと帰る目的地は、広島平和記念公園、資料館など。土曜日のヨガクラスの後、九段から東京駅に行って、久しぶりの新幹線に乗りました。


いってきます、東京タワー

広島駅に到着したら、外は小雨、すでに真っ暗。ひとまずお好み焼きを食べて夕食を済ませ、翌日に備える。平和記念資料館のチケットは、9時半の回にウェブ予約。(30分刻みで予約できます)

翌朝、起きてホテルの窓から見る外は快晴

広島の街は山々に囲まれているのか・・・と思いきや、正面に見えるのは、瀬戸内海に浮かぶ宮島をはじめとする島々でした。街の中心から海がこんなに近いのですね。

外をよく見ると、すぐそこに原爆ドームが

ホテルを出て歩くこと5分、平和記念公園に入り原爆ドームを通り過ぎて、資料館へ。入口は、外国からの観光客と日本人が半々くらいの割合で並んでいましたが、資料館の中へと進みました。入口付近ではお喋りの声がガヤガヤしていましたが、進むにつれておしゃべりは止み、静かに。国籍も年齢も関係なく、皆、熱心に展示に見入っていました。

展示の内容は、投下当日の様子、個人の声やもの、原爆の凄まじさが伝わり感情が揺さぶられましたが、それだけではなく、戦争に至る経緯、原爆が開発され投下され、その後の影響、そして今に至るまでなどが理性と感性の両方から構成されていて、素晴らしいと感じました。

私が広島の平和記念資料館に行くと言ったとき、友人が「小さな子供には見せない学校もあるんだってね」と教えてくれました。展示物の中に悲惨な場面や衝撃の強い内容のものがあるから、ということらしいのですが、私の行ってみての感想は、誰もが全てを見た方が良いし、どんなものであってもそれを含めて体験する必要がある、と思いました。もちろん強制的にということではなく、誰もが訪れてそれぞれの体験をすることが大切なのだと感じました。

私は、母から原爆にまつわる話を聞いて育ったので、今回、聞いてきた事に臨場感が加わって人ごとではなく自分ごととなった感があります。
ただ、身近に原爆の体験者がいてもいなくても、このことは誰もが語り伝えることだと思います。もちろん実際の体験者が語ることの重みには全く足りませんが、訪れた人が資料館で何を見たか、感じたか、で良いと思うのです。その人が受け取ったものを誰かに渡すこと。それは重要だし、ほんのささやかなバトンが平和へと必ず繋がっていくと感じます。

戦争は、本当におそろしいこと。なのに、勝っても負けても繰り返し起こっています。人間は愚かだなぁ、どうしようもない愚かさだ、と思うけれど、それでもあの資料館に行った後、私は、だとしても人間は強い、すごい、尊い、捨てたもんじゃない、と感じました。

高齢の被爆者の方がテレビのインタビューで「爆弾を落とした国は、そりゃ正直・・・憎いと思うこともある。でも、それを越えにゃならんのです」とおっしゃっていました。
ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の方々の謙虚な姿勢、諦めない志、本当に尊敬します。

皆さんは、どう感じますか? 


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