見出し画像

柔らかくてしなやかな、心の境界線。

心って、いそがしいですよね。
毎日、色んなことを考えて、悩んだり、楽しんだりしています。

今日は、母との思い出帖はちょっとお休みして、年末、年始の数週間でちょっと気づいた心の持ちようのお話をしようと思います。


「考えることとなやむこと」

心は感情や気持ちを司っているから、思考はしない・・・のかもしれないけれど、私の感覚としては、心で考える、と言う言葉が結構しっくりきます。

昨日、長女(小6)の宿題で鴻上尚史さんの「考えることとなやむこと」の音読を聞きました。
見開き1ページほどの説明文です。

要約すると、何か課題に直面した時は不安になったり心配したりするけれども、それは”考えている”のではなく”悩んでいる”状態。
課題に対して、解決するためには何が必要か、とかどうすれば良いか、ということを具体的に検討すること”考えること”である

なので、考えると悩むことは違うよ。
問題の解決には、考える、ということが役に立つよ、みたいなお話です。

ふむふむ、なるほど。
確かに、そうですね。
私もそうなのですが、多くの人が、ついこの辺りを混同してしまいがちではないでしょうか。

悩み多き子どもたちにとって、こういう考え方を知っておくことは役に立ちそうです。

でも、悩むことも大事だよねえ、なんてちょっと思ってしまいました。

悩むのは非効率で、前向きな思考が推奨されているようなところがちょっと引っかかったのかもしれません。
・・・誰だって、好きで悩んでるわけじゃないと思います。できることなら、早くこのモヤモヤから脱却したい、安心で心地よい状態になりたいと思うのは当然です。
”悩んでる時間がもったいない”ですよね。

だけど。
そんなふうに割り切れたら楽だけど。
なんだかちょっと、物足りないような気がしたんです。

自他の境界線を引いてみた。

年末年始、何かといそがしいのになぜかそのタイミングで私の心はまたちょっとした実験をしていました。
それは、自他の境界線を引く、ということです。

以前にも少しnoteで書きましたが、私は自分軸がやや曖昧です。
私一人で完結することなら、確固たる意思はありますが、他者が関わってくるとどうしても、他者優先になっていました。
や、別にこれが絶対だめってことじゃないですけれども、相手や状況によっては自己犠牲的になってしまったりするので、ちょっとそれは改善したいなと思っていて。
ここ数年個人的に取り組んできて、少しずつ変わってきていたのですが、年末年始の頃にふとその感覚があって。

多分、色々と悩ましいことが多いうえにイベントも多くてキャパオーバー気味だったからかもしれません。

誰か対して自分ができることは所詮限られている、というちょっとした諦めとともに、すうっと気持ちが楽になりました。
最初は、それが快かったんです。
なんだか、以前よりも気楽で体の感覚すら軽くなった気がしました。
発言することに対してもハードルが下がったのか、声量も若干大きくなりました。思ったことを口にするまでの速さも変わった気がしました。

数日の間、その感覚のまま放っておいてみました。
すると、なんだか違和感が生まれてきました。

他者にどう思われても気にしない、自分の中の「そうあるべき」というルールを緩めて素直な気持ちに従ってみる、ということは一見よさそうです。

でも、なんだかちょっと虚しさを覚えたんです。

確かに、気楽なんだけど、なんだか寂しい。
これは何だろう?

境界線を引いたその先は。

で、考えて、気づきました。
他者と自分との境界線をしっかり引いて、楽な感覚に身を委ねて、慣れて。
このまま進んでしまうと、行きつく先は利己だと。

だって、自他の境界線を引くってことは、自分以外のことは気にしないってことにもつながりかねないです。
自分の世界に他者を入れない、ということはやっぱり寂しいんです。
世界も小さくなります。

なんとなく、他者をモブと呼ぶのが理解できた気がしました。
自分に直接関わりがなければ、”見知らぬ誰か”はもはやどうでもいい存在、通り過ぎる景色と同じ。

でも、それはやっぱり嫌だなと思いました。

というか、普段は意識しないだけで、本当に微塵も自分に関係がない人なんてきっと世の中には存在してないんじゃないかと思うんです。

直接、顔や名前は知らなくても。
通り過ぎたあの人は、今自分が着ている服の制作や販売に関わった人かもしれない。
道路の向こうで信号待ちをしている人の中には、私の大切な手紙や荷物を届けてくれた人がいるかもしれない。
自分ではなくても、家族を、友人を、大切な誰かをどこかで支えてくれているかもしれない、って。
いそがしい毎日で、そういうことに思いを巡らせる時間はなかなか少ないけれど。

そういうことを、すっかり忘れてしまいたくはないなと思いました。

丁度いい線を探す。

境界線を引くことは必要です。
自分を守るためにも。
でも、それは柔軟でしなやかで、濃くなったり薄くなったりするものでいいんじゃないかなと思います。
トライ&エラーを繰り返しながら、自分にとって丁度いい感覚の線を探していければいいな。

悩むことが、自分以外の誰かを心の中に入れている証拠なんだとしたら。
それは、ちょっと素敵なことなのかもしれません。

読んで頂きありがとうございました。
悩むことも必要だし大切なことだけど、悩み過ぎないように思考もバランスよく取り入れようと思います。












いいなと思ったら応援しよう!