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自分史、家族史のススメ。

自分史ってご存じですか?
文字通り、自分のこれまでの歴史を文章などで残しておくことです。
家族史は、自分の家族の歴史のことです。
改めて調べてみると、就活の時とかにも使われるみたいですね。
自分史の書き方を記入例付きで解説!自己分析に活用するときのポイントも紹介 - リクナビ就活準備ガイド

これは、年齢問わずいい試みなのではないかと個人的には思います。
年月をきっかけに、この年はこんなことがあった、とか
ただの事実を書いているうちに、そういえば、と内面の変化にも自然に気が付けたりしますし、広く高い視野で自分自身を見つめ直すことができると思います。


自分史を書くのに参考にした本。


何がきっかけだったのかは、忘れてしまったのですが、
父が難病になってからしばらくして、自分史を書くことを勧めてみました。
参考にいくつか本も買いました。

事例も多く、興味深かったです


2019年刊行です。
年ごとに社会で起こった出来事や流行ったものなどが載っていて、話を聞きながら書き留めるのにちょうどいいレイアウトです。


・・・といっても、その当時はまだまだ元気でしたし、父にしてみれば
終活のように感じられて嫌だったのでしょう。
あんまり乗り気にはなってもらえませんでした。
なので、それから2年ほど我が家で眠っていたのですが・・・

今年の秋に、
「あのね、家族史を書きたいんだけど。・・・ほら、お母さんにはもう聞けないし」
ともう一度切り出すと、今度はええよ、と返事がかえってきました。

父に自分史を勧めた理由。

①自分が家族の歴史を知りたかったから。
当然なのですが、自分が物心つく前の家族のことや両親のことって、私は知りません。どんなふうに幼少期や若い頃を過ごしたのか、二人がどんなふうに出会って結婚したのか。自分が生まれてからも、どんな想いで父がこれまで過ごしていたのか。
そういうものを、知りたいと思ったんです。
自分の一番近いルーツ、ですからね。
でも、改めて聞く機会なんて、ありそうで意外とないですよね。

加えて、うちの場合は母が既に他界しているので、もう父から聞くしかないっていうのも大きな要因です。

②リハビリ的要素があるから。
これは、ST的見地からです。
・脳機能の活性化・・・昔のことを思いだす、という作業で脳のいろんな回
路が動きます。新しいことよりも古い記憶の方が鮮明に憶えていたりするものですしね。
・口腔機能の向上・・・まず発語の機会が増えます。しかも、自分だけが知っている情報なので、がんばって伝えなければなりません。自然と、しっかりお口を動かして、声を出して伝えてくれようとしてくれます。話すことと、食べることは繋がっています。どちらも同じような部位の筋肉を使うんですよね。
父は少しずつ食べ物を飲みこむのに必要な筋肉なども衰えてきているので、話すことで、そちらの機能向上にもつながれば、と実は目論んでいます。
「さあ。お口の体操をしましょう」と娘の私が言うよりも、こういう形の方が自然にリハビリが行えるんです。
・心理的なケア・・・昔のこと、楽しかったことを思いだすと気持ちが前向きになりやすいです。実際、父もかなり笑いながら話してくれることも多々あります。最近は表情が少なくなりがちだったので、いいことだな、と思います。作り笑いでも、良い効果があるそうですよ。それから、自分にしかできない仕事だ、という意識を持ってもらえることもいい効果があるのだろうと思います。できないことが増えていく中で、まぎれもなく父にしかできないミッションがある、というのは自尊心や責任感、使命感を呼び起こしてくれるのではないでしょうか。

実際に聞きとりをしてみて。

まだ途中なのですが、今のところ父にとってよい効果を生んでいるようにみえます。発音が不明瞭な部分が増えてきているので、聞き返すことも多くなってきていますが、意欲をなくすことなく、伝えてくれています。

なの、です、が。

いやあ、やっぱり母にも聞いておくべきだったと後悔しています。
だって、母との出会いとかどんな経緯で結婚することになったとか・・・。
片方からしか聞かないのって、なんだかフェアじゃない!

というか、結婚するきっかけが、
手編みのマフラー持ってきたから、って。

・・・え?
それだけ??

どういうきっかけで付き合うようになった、とかも
さあ~? 憶えてないわ。
と、はぐらかされてるのか、本気で憶えてないのか。

え、え?
お母さんのここが素敵だなー、とかなかったの?

手編みのマフラー持ってきたんや~。

いや、それはもう聞いたよ。
と内心盛大につっこみつつ、聞いていると、

25歳で結婚するって決めてたからな。
付き合うのと結婚する人とは別やと思ってたし。
って。

いや、わからーん!!

もう、お母さん教えて~~(泣)

しかも、うちの父はプレイボーイだったのか、
本当に女の人が切れたことがないみたいです。。。

なんか、聞けばきくほど今では考えられないし、
私の感覚と違い過ぎて。

謎・・・。

まあ、ある意味で父という人物の理解には役立っていますけど。。

あとは、当時ならではの暮らしぶりだとか、時代の雰囲気とか、
そういうものも少し垣間見えるのが面白いです。

小学校や中学校のグラウンドに、爆弾池っていうのがあったらしいです。
第二次世界大戦の時、爆弾が落ちてできた穴ぼこに水が溜まって、その周りにいつの間にか葦が生えたりしてできた池なんだそうです。

それとか、昔は工場排水とかも規制がなく垂れ流しだったから学校近くの川の水は時々赤とか黄色とか緑とかいろんな色になったりしてたらしく。
ボールが落ちた時は、先生が「水に触るな」と言って網みたいなので掬ってくれたんだそうですよ。

川のほとりで、舟屋さんをしている人がいて、小学生なんだけどそこの子と一緒に仕事を手伝ってお駄賃もらったりしてた、とか。

やってみると、結構面白くて、色んな発見がありますよ。

読んで頂き、ありがとうございました。
たくさんの人と、縦にも横にも繋がって、今日もみんなで生きていきましょう。













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