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初めての後悔。

今回は、高校1年生の時の母との思い出についてです。

まだ楽しい思い出、もあったはずなんですが・・・あんまり思い出せません。なので、暗めになってしまいますがそれでもOKという方はどうぞ。


母の病気を知らされてから、私の心には様々な想いが毎日休むことなく押し寄せ続けました。
怒濤のような感情の渦に、当時の私は何一つ対処できませんでした。
ただ、ただ、翻弄されていました。
学校や、家族の前では平気なふりをして。
急ごしらえで作った心の箱に、辛い気持ちは押し込んで。

今、こうして書きながら振り返ることは、
それを、ひとつひとつ紐解いていく作業なんだなあと思っています。

幼稚な親切心。

1年生の時は、まだ家にいる期間が長かったように思います。
体調のいい時にご飯を作ってくれたりもしていました。

印象に、というか記憶に残っている母とのやりとりがあります。
ベランダで洗濯物を干そうとしている母に、
私が干すよ、と声をかけた時です。
「いいよ! できる間はやりたいの」
そう言って、母は洗濯物をゆっくり干していました。

はっ、としました。
病気の母のことは、なんでも手伝ってあげなくちゃいけない、と思っていたんです。
でも、そうじゃなかった。
風邪とか、数日で治るような病気ならそれもいいかもしれません。
でも、患っていたのは癌です。
きっと、母はこれから――すぐじゃないとしても、自分がどんどん動けなくなっていくのが解かっていたんでしょう。
ご飯を作るのも、買い物も、洗濯物も、掃除も。
今まで家族にしていたことが、徐々にできなくなることを。

そして、私もそのことを母の言葉から読み取ってしまいました。
やがて、母に”できない時”がやってきてしまうのだと。

子どもじみた親切や配慮では太刀打ちできないものに、直面しているのだと感じました。

初めての後悔。

ある日、母から一冊の本を手渡されました。
「時間があるときでいいから、読んでほしいの」

1995年出版です。

「・・・・・・わかった」
そう言って受け取ったものの、複雑な心境でした。
まだ、癌のことを教えてもらって一か月くらいでしたでしょうか。
表面上は落ち着いているようにみえていた・・・としても、
まだまだ私は、事実を受け入れられていませんでした。
母が癌という病を抱えたことを、認めたくなかった。

けれども、母は違いました。
当時は今のようにインターネットも普及していませんでしたが、
病院のこと、お医者さんのこと、病気のこと、治療法のこと・・・色々と情報を集めていました。
どうすればいいのかを、一生懸命考えていたんだと思います。
どういう方針で治療していくのか、悩んでいたんでしょう。

「〇〇ちゃんは本が好きだから。ちょっと太いけど、読めるよね」
 
でも、私は読めませんでした。
最初の方だけ、少し読んで。
それ以上先には進めませんでした。
 
しばらく経ってから、
「あの本、読んだ?」
と切り出され、
「全部じゃないけど、一応・・」
一応どころじゃないです。
ほぼ読んでないに等しいです。
サバを読むにもほどがある、っていうくらい。
少し後ろめたさも感じながら答えると、母から重い質問が飛んできました。

「手術して、放射線治療とか抗がん剤とかの治療した方がいいと思う?」

ずしん、と来ました。

何がそんなに心に重くのしかかったのか解らないまま、
「・・・うん」
と答えました。
「――食事や、(手術しないで)残す方法よりも?」
「・・・手術で取っちゃって、治る可能性があるんなら・・・」
と、答えてしまいました。
碌に、読んでもないくせに。

「〇〇ちゃんが、読んでそう思うんだったら」
母はそう言いました。

今ならわかります。
母も、迷っていたんです。どうやってこの病気と闘っていくのかを決めかねていたんです。

結局、私がこの本を読み通したのは母が亡くなってからでした。

栄養や健康に関心の高い母でした。
体にいい、と言われたことは色々試していました。
ケフィアとか、きのこヨーグルトとか、浄水器とか。
安易に薬に頼ることはしませんでした。
家族のことを、考えてくれていた母でした。

だから、近藤誠先生の方針にもきっと共感していたのかもしれません。
だけど、不安だった。
確信がないから。
それで、私の意見を聞こうと思ったんでしょう。きっと。
読書好きな娘なら、きっと内容も理解して考えてくれると。
その上で、娘が望む方にしようって。

それなのに、私は。

そんな母の思いに気づけなかった。

読んでもいないくせに、答えてしまった。

母の一生を左右する決断だったのに。
自分に、とっても。

目を背けたまま、返答してしまった。


どうして、あの時読まなかったのだろう。
もし、読んでいたら――違う意見をしたかもしれない。

・・・ううん。
でも、やっぱりそれはわからない。
あの時、読んでいたとしても――同じ回答をしていた可能性は、ある。

悔やんでいるのは、「読まずに答えたこと」。

母とその病に、家族に降りかかってきた問題に、ちゃんと向き合わなかったこと。

向き合えなかった。
ごめんね、お母さん。

それからしばらくして母は、手術をしました。
その時判っていた癌は切除できたのですが、近くにも癌化している箇所があることが分かり、抗がん剤や放射線治療などをしました。

読んで頂き、ありがとうございました。
いやなことから逃げたら、やっぱり後悔が残ってしまう時もあるのかもしれませんね。










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