見出し画像

こどもは鏡

良いことと、悪いことっていうのはどんなことにもあると思うんです。
ものの見方や意味が変わることがあるから。
どんなことも、表裏一体。

はっきり言って、小6の彼はゲーム依存症に片足突っ込んでる状態でした。ゲーム機の見守り機能を活用していたので、プレイ時間を使い切ったら強制的にスリープ状態になります。そうすると、不機嫌が増します。
半日、いや3時間もするとそわそわ。
……依存してました。
「ゲームできないんだったら、〇んだ方がまし」という言葉を聞いた時には、衝撃で内心倒れそうでした。
我が子の口からこんなセリフを聞くとは。
でも、それくらい心の中で大きな存在になっていて、拠り所になっているんだと思い知りました。

いつの間にか、こんなに心が弱っていて自信を失っているんだということにも気づきました。

勉強はあんまり好きじゃないけど、根は真面目な長男。
小学校に入りたての時、一生懸命宿題をやろうとして何時間もかけていたこともありました。
幼稚園の素直さそのままに、先生の要求に応えようとがんばっていたんでしょう。少し線がはみ出たら、消して書き直す。でも、上手くできなくてそれがまた自分で許せなくて。
「大丈夫だよ~、十分書けてるよ」と声をかけても、
頑として受け入れませんでした。
周囲が励ましても、彼の中では駄目なら、ダメだったのでしょう。
その後、宿題は後回しになり、「とりあえずやって出せばいいもの」になったようですが。
振り返ると、0か100かという彼の思考パターンの表れだったのだと思います。
完璧にできないのなら、もうどうでもいい、って。

いやいや、真ん中もあるよ?
全部がぜんぶ完璧になんてできるわけないんだから、いいんだよ。
失敗しても、大丈夫だよ。
そんな声かけは、山ほどしてきました。
でも、繊細なところのある長男には全部見抜かれていたんでしょうね。
私の言葉は上滑りするばかりで、心の奥には届いていなかったんです。

完璧主義で心配性。
それは、自分の性格の特性でもあります。
大人になった今は、以前よりもだいぶ柔軟性も身につけられてきたかなと自己評価していますが。
私はあまり器用ではないし、要領もよくないです。
だから、事前の準備はかなり入念にします。その方が、安心するから。
そうやって、生きてきました。
いろんな失敗を避けてきました。だって、怖いから。
いわゆる優等生な生き方をしてきた自分は、長男に「こうあるべき声かけ」
をしていました。

もちろん、励まし、寄り添いたい気持ちは本当です。
そこに嘘はありません。
でも、(子どもが課題を)できるように(親が)させなくちゃいけない。
できないのは、良くないこと。
失敗は、したくない。させたくない。
今できないことを、できるようになってほしい。
心の癖、みたいなものでしょうか。
そんなことを、自分でも気づかない無意識で思っていたんです。

それが、長男には重い期待だったんです。
そして、大丈夫だよ、失敗を気にしないでと言いながら本音はそうじゃないということを、私よりも長男の方が気づいて受け取ってしまっていたんです……!
そりゃあ、自己肯定感下がりますよね。
アンビバレント、ダブルバインド(二重拘束)です。
ちなみに……
ダブルバインドとは、
2つの相反するメッセージを送るために、相手に混乱を生じさせることです。(↓のページが分かりやすいかなあと思います。よければ参考に。)
子どもへの接し方「ダブルバインド」になってない?気を付けたい子育ての盲点【保育士監修】- キッズライン (kidsline.me)

そのことを私が自覚できたのは、長男が「学校に行きたくない」と言ってくれたからです。口が悪くなったり、不機嫌になったり、情緒が不安定になって、今、自分は心が苦しいのだと”問題”行動を起こして気づかせてくれました。そうしてくれることで、よりしっかりと子どもを見つめ、やがてそれは自分自身の内省にもつながりました。

ちょっと、自分が情けなかったですね。
20代は、言語聴覚士として小児の現場で働いていたんです。
発達障害(今は広義で神経発達症と言うそうです)、聴覚障害のお子さんと接して、拙いながらも熱意だけは持ってやってきました。
だから、子どもの成長や発達、心理については少しは解っていたつもりだったのに。
親として、まだまだです。

思春期、反抗期は、それまで親がやってきた子育てを振り返って、軌道修正できるチャンスなんだって書いた本を読んだことがあるのですが、本当にそうだなあと思いました。

子どもは親が成長させてあげるものじゃなくて。
親と一緒に成長してくれる存在ですね。
しかも、親の忘れ物を一緒に取りに行ってもくれます。

子どもが親を映して浮彫りにしてくれた課題は、親にとっては、見たくないものや辛いものです。痛いことばかり。
それでいいと”思い込んでいる”こととかね。
でも、がんばって自分自身を見つめ直して……、大切な何かに気づいた時、
まず自分が変わります。
私って、そうだったんだ。
ああいうの良くなかったなあ、と思ってもなかなか急に全部がよくなったりはしませんが、それでも自覚しているのとそうでないのとは雲泥の差です。

そしたら、自然と子どもも変わり始めました。
親も子を見ていますが、同じくらい、もしかしたらそれ以上に子どもの方が親をよく見ているのかもしれませんね。

このことを実感できたことが、真っ暗だった思春期トンネルの中に差し込んできた光でした。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?