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お寺の言葉、が思い出したくて。

「人は、何に出遭ったかで人生が決まる。
 病や苦しみが、その人を輝かせることもある。
 〇〇〇〇〇すれば、〇〇の塵が光り、その人を照らし出す」

 こんな言葉だったのですが、どうにも全文を思い出すことができません。


お寺で見かけた気になる言葉


父のケアのために、私は毎週水曜日に自転車を30分ほど走らせています。
最寄りの駅からは少し距離があるため、ちょっと時間がかかっても自転車で行く方が都合がいいんです。
途中で買い物とか父に頼まれた用事も済ませられますから。

父の実家は、私にとっては祖父母のお家です。
決して広くはない古い平屋で、お正月に親戚で10人以上入ることがいつも
子ども心に不思議でした。

そんな父の家に行く道すがら、たまに通るお寺さんがあります。
住宅街の中に、ぽんとあるお寺です。
そこの掲示板には、いつも「言葉」が掲げられています。
一緒に貼られているポスターや行事のお知らせとかと一緒に、見るでもなく目にしていました。

私は言葉が好きなので、つい読んでしまうんです。

教会とかお寺さんって、よくそういう言葉を掲示されていますよね。
たまに幼稚園とかでもみかけるかな。
それぞれの宗教に沿った言葉なんでしょうね。
「天は積極的な人に味方する」
とか。
「挨拶は、すべての基本」だとか。
キリスト教だと、聖書の一節が書きだされていることもあるかな。

たいていは、うんうん。とか、ふーん、と思いつつ通り過ぎるのですが、
先月のそのお寺さんの言葉は、心に引っかかったんです。

「人は、何に出遭ったかで人生が決まる。
 病や苦しみが、その人を輝かせることもある。
 〇〇〇〇〇すれば、〇〇の塵が光り、その人を照らし出す」

言葉の意味。


初めて読んだ時、はっとしました。
本当にそうだなあと思いました。

抜けている箇所はありますが、意味としては、

その人が出遭ったものが、たとえ病気や苦しい嫌なことであったとしても、
それも一つの出遭い、である。
また、それに向き合えばその出来事が、その人自身を導く光にもなる、


というものでした。
母のことや、また自分のこれまでを振り返ってみても、確かに、と
頷けるもので、沁み込んでくるような気がしました。

忌避したいような出来事は、
それでも逃げずに見つめれば、必ず自分自身を救う光や成長になると思います。

家に帰って、思い出してみようと思ったのですが、全部は思い出せません。
その後も、何度か通ったのですが、急いでいたので立ち止まって携帯で写真を撮ることができませんでした。

それに、なんだか心に響いた言葉を
携帯でお手軽に保存するのが、なんだか少し違うような気がした、というのもあります。
できれば、憶えたい。
そう思いながら次に通った時、そこには新しい言葉がありました。

もう、新しい月になっていたからでした。
しまった~~。
こんなことなら、やっぱりとりあえず撮っておけばよかった。
悔やんでもあとのまつり、です。

それから半月が経ち、
それでもやっぱり思い出せないままの言葉が気になります。

なんていう言葉だったんだろう。

新しい言葉は、前のものほどピンときません(ごめんなさい)
あんまり気になるので、ネットで問い合わせてみようかと思ったのですが、
公式のページはなく。
直接電話で聞く・・・?
えええ、それもなんか気が引けてしまいます。。

もともと、電話で問い合わせるのとかあまり好きじゃないんです。。
でも、分からない事や気になることは調べたい!と思うのも性分でして。

それに、前ならこのまま放置で終わりなんですが、
ふと考えてみたんです。
このまま今まで通り何もしないで終わらせたら・・・?
きっと、そのまま、ずっとちょっと引っかかったままです。
でも、
もし行動してみたら?
気になっていた答えがわかるかもしれない。
少なくとも、ちょっとしたもやもやはすっきりするかもしれない。

自分はどっちがいい?

そう考えてみて、行動にうつすことにしてみました。

電話をかけてみたら、思いもよらない反応に出遭った。


ドキドキしながら、番号を押しました。
「あの、先月にお寺の前に掲示されていた言葉が気になって・・・。よければ、教えていただけないでしょうか?」

と、いうことが言いたかったのですが、実際はちょっとしどろもどろになりながら聞きました(苦笑)
だって、ちょっと変わった問い合わせだって自覚してますから。

応対してくれた人は女性でした。
うーん。私よりは20くらいは上の年齢の方、、かな?
でも、残念ながらその内容はちょっともうわからない、とのことでした。

そっかー。
そっか、そうですよね。もう時間が経っちゃってますもんね。きっと処分されたんでしょうね。
お寺の方にしてみれば、月に一度のお仕事の一つで。
記録をわざわざ残してるわけないですよね。

そうですか、すみません。
ありがとうございました、と電話を切ろうかと思ったら、
「お電話番号が市外局番なのですが・・何か、心に響いたところがあったんですか?」
と聞かれた瞬間。
なぜか涙が込み上げてきてしまいました。
「父の、病気で・・・それで目にして、いいなあって思ったのに忘れちゃって」
助詞の使い方がおかしい、と思いつつなんだか涙声になるのを堪えて。
そうでしたか、と何か納得した感じの返事があって。
「声の感じもまだお若いから、そんな方にも見てもらえてるんだということでこちらも嬉しく思います」と言ってくれました。
浄土真宗の教えは、言葉が変わっても同じことをお伝えしているので、
またよかったら読んでください、とのことでした。

電話を切った後、少しだけ声をあげて泣きました。

なんだろう。
自分でもなんで涙が出たのか、あんまりよくわからなかったです。
でも嫌な涙じゃなかったかな。
強いて言うなら、ほっとした、という気持ちが近いのかな。

電話の女性は、ただ疑問に思っただけかもしれません。
でも、
見ず知らずの人である自分に対して、
「どうしたの?」って意識を向けてもらえたことがもしかしたら嬉しかったのかもしれません。
そこに、人間らしさ、を感じたのかもしれません。

最近はニュースを見ていても、辛くなる事柄が多いですから。。

もしかしたら、生きていれば母と同じくらいの年の女性の声に、
母を重ねたのかもしれません。
老いて、弱っていく父をみているのが辛い気持ちを、ふと荷下ろししてしまったのかもしれません。

きっと、電話の女性はちょっと驚いたでしょうね。
「こんなお電話は珍しいので」って言っていました。
私もそうだろうなあ、と思います。
でも、行動に移してみて、よかったです。
言葉はわからないままですが、
思いもよらない自分の反応に、であえました。

読んで頂き、ありがとうございました。
皆さんだったら、〇〇のところにどんな言葉をいれますか?








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