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子どもと、小さな生き物センサーの話。
私には、小さな生き物センサーがついています。
多分。
それを自覚するようになったのは、子育てを始めてからです。
小さな手を引いて、お散歩に行くと、
ちいさな生き物に気づくのはいつも、私が一番最初でした。
あ、見て~。あそこにバッタがいる!
いもむしさんが歩いてるよ。
カタツムリが壁にいる!
え、どこどこ?!
子どもがあわてて探す、という流れです。
本来的には、子どもの方が目線低いし、見つけるのが上手なんじゃないかと思ってましたが、そうでもないんですよね。
子どもが幼稚園~小学校低学年の間は、お散歩がてら、毎年のように蝶の幼虫やセミの幼虫やらをお家に連れてきては期間限定で育ててました。
大体、羽化前とか、蛹になる前とかのを捕まえてくるので、あんまりお世話も手間がかかりません。
蝶の羽化は、おススメです。
タイミングがよければ、子どもと一緒に直にみれますし、
羽化したての時は、まだ羽が乾いていないのでそっと指に乗せたりすることができます。
世にも珍しい手乗り蝶の完成です♪
羽化の過程を観察できるだけでなく、中には上手く羽化できない子たちもいたりするので、小さな命の大切さや、生き抜くことの厳しさなんかも体感できるんじゃないかと思います。
長女が2歳にして、虫を弔う、ということをした時には驚きました。
ちゃんと土に埋めて、石をその上に乗せていました(!)
絵本やテレビ、長男(とそのお友達)、あるいは大人の行動などをみて、
何か学習した可能性は否定できませんが、それはとても原始的な儀式で、DNAに組み込まれている何かを連想させました。
「おまいりするの」
と言って手を合わせた幼い彼女の横顔が、とても純粋で、美しくみえたのを憶えています。
そんな私の小さな生き物センサー。
思えば、子どもの頃からそうでした。
生き物がもともと好きなので、小学校には何か動物が飼いたいと思っていました。でも、なかなか許してもらえず。
一度、セキセイインコを飼ってもらえたのですが、残念なことに、すぐお星様になってしまいました。。
それも、私が学校から帰るのを待っていたようなタイミングでした。
悲しんでいたある日、
私は家の側溝にすずめの子どもが落ちているのを見つけました。
「すずめだ!」
まだ飛べない様子で、溝で走るばかりでした。
どうにか拾い上げて、インコに使っていた小さなケージに入れてみました。
・・・どうしよう。
すずめって、何食べるの?
お米?虫?
入れてみたものの、その先のことなんて考えてませんでした。
部屋に置いておいて、母に見つかったら怒られると思いました。
で、何を思ったのか、そのケージにタコ糸を結び付けて、二階の窓から軒下にそろそろと降ろしました。
・・・いや、バレバレですよね。
でも、小学生当時は大丈夫と思ってました(笑)
案の定、母に見つかり、なにしてんの!と怒られ。
外(野生)の鳥なんて、なんの病気持ってるのか分かんないのよ!
早く逃がしてきなさい!
と。
泣く泣く、外に逃がしました。
野鳥は、基本的に保護しちゃいけないんですよね。
でも、そんなこと知りませんでしたし。
病気を心配する母の気持ちも、理解できなくはないですが。
思えば、そういう自分の子ども時代にできなかったことを
子育てを通してもう一度するチャンスをもらっているような気がします。
鳥じゃなくて、虫ですけど。
あ、でも母猫とはぐれた子猫を幼稚園で保護したこともあります。
その時は、1週間ほど保護して、その後飼いたいというママさんにお渡ししました。
・・・可愛かったなあぁ。
そんなわけで、近所にまだいるかもしれない痩せた子猫のことが気になっているのですが、結局出会えていません。
だれか、いいひとに護ってもらえていればいいのですけど。
ポケットに餌を忍ばせて、探しにいくと出会えないんですよね。
なんの準備もない時に限って会うのに。
出会いは、いつもそんなものかもしれませんね。
読んで頂き、ありがとうございました。
偶然の出会いが、素敵なひと時になりますように。