『勇気はいかにして回復されるのか』
問題のある親子、犯罪者、そして神経症患者とのカウンセリングを通じて有用な勇気、つまり共同体感覚の備わった状態で行う社会への貢献、を持つにはどうすればいいのかを、訳者による注釈を交えて書かれた一冊
・勇気を欠いている人の特徴がとてもACの特徴類似しているように思った。
・人間的成長において優越感と劣等感は刺激となり得るが、あまりにも大きすぎると勇気を損ない、課題を回避するようになる。赤面症や突発性気絶発作などの神経症は、課題を回避する理由として (課題を回避すると決心したあとに) 当事者が『産み出したもの』であるとアドラーは話している。
・「△△したいけど、〇〇だからできない」といった文言の裏には、△△しないという決心をした上で、自身を正当化するために〇〇という表面上の原因を述べている。なので仮に〇〇という要素を取り除いても、新たな表面上の原因が生まれてくるだけ。
・親を含め、子供や患者をサポートする側は決して彼らの自由を制限してはいけない。その時点で当事者意識を損ない勇気をくじいてしまう。適度な距離感を保ち見守ること、自分の行動による結果に責任を持たせ、原状の回復(信頼関係の修復など)そして今後の行動改善について話すのが効果的。
・サポートする側は当事者との友人のような関係を築き、適度な距離感を維持しながら当人の誤りを理解する行程から実践に移す行程までサポートする必要がある。しかし同時に当事者の行動を制限したり、過度な介入をしてはいけない。回復するかどうかは当事者の勇気とその意志によるものなので、ただ見守ることが大切となる。
・当事者は自身の習慣として身についた誤りに気づき、その上で他者の助言に耳を貸し、行動に移していくことで改善がみられる。
・「他者の助言に耳を貸す」という過程において、共同体感覚を必要とし、自己中心的生活からの脱却が求められる。そして「やればできるけどやらない」という幻想(可能性の世界)から「できないこともできるところから始める」という現実(課題)へと目を向けていかなければならない。
・他者から見た自分、つまり見栄を気にしている人は実のところ、自分にしか興味のない人である。他人からの期待に責任を負う必要はなく「自分の課題」にだけ集中すればいい。この見栄を捨てることが勇気の回復及び自立へと繋がっていく。また、他者と比べて自身の劣等感を刺激し、その劣等感を『〇〇しない』という理由に持ち出すのは合理的ではない。というのも本来、自分の課題に関して言えば、他者の存在は一切関係なく、やるかやらないかだけなのだから。
いいなと思ったら応援しよう!
![岩上魁星(IwagamiKaisei)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/86275439/profile_eb32355fda0d185b071dee8e37b047ed.png?width=600&crop=1:1,smart)