躾とモラルのイノベーション
個人中心現代社会に合わせた新たな「躾」
【今、求められる大人(=親)の意識改革】
一部の自制心欠如の大人から
『子供達を守る活動』
コロナ禍の中、政治家や行政機関
の従事者を始め、若者モラル欠如の
言動や日常生活に於ける自制心欠如
に因ると思われる大人のマナー違反、
人として成してはならない様々な
事件・犯罪・凶悪殺人事件の行為が
大きな社会問題となって来ています。
いま日本は、
高齢化による人口・労働力減少ばかりか、
コロナ感染症による死者の増加、
自殺や殺人と言った不本意な
死亡者が日々増えつつあります。
そして、
これからの日本の社会を担い
牽引する大切な子供達や若者達に、
一部の大人の自制心欠如による
多種多様な障害が降り掛かっています。
このような正常な社会活動を
妨げる行為を起こす要因・原因を
見つけ出し、それに合ったルール
や条例などの法令化も不可欠です。
勿論、
子供達にはそれぞれの生活環境に
見合った自分自身を守る意識=気持ちを
植え付ける躾=周りの人に迷惑や心配を
かけないことや何らかの制裁め罰を
受ける行為を教える、などと言った
時代に合った心の育成も必要と思われます。
古より、
「子は、親の背中を見て育つ」
「子は、親を写す鏡」
「子は、親の心を実演する名優である」
と言われる一方、
子共は「人マネ」の名人で、
親の「言うこと」は聞かなくても
親の「やること」は見事にマネをする。
と言われるように、殆どの子供は
親の姿を見ながらその真似をし育ちます。
戦後の日本は団塊の世代、バブル世代など
と言われその世代夫々に特徴があります。
今の小中学生の殆どの親は、
団塊二世とも言われ豊かなバブル時代
を体験している人々が大半です。
このバブル世代から、個人中心意識、
プライバシー最優先の社会生活環境が
目立つようになってきたように思えます。
そして震災前まで、
数多くの様々な報道がなされていた、
「核化社会・無縁社会」と言われていた
社会現象を表す言葉に表れています。
いつの時代でも、良し悪しに関わらず
「今の子供は」と言う言葉を聞きます。
このような社会環境の中で生活し、
育って来た今の子供達は、
★自分自身のことを中心に思考する
★自己中心的思考で、思いやりがない
★言葉や行動が乱暴である
★大きな声で話せない
★意思決定や意思表示が上手く出来ない
★相手による態度の違いがある
★人間は一人では生きて行けないことの自覚のなさ、
「生かされている」という教育不足
★自分自身の安全安心の意識が極めて強い
★挨拶や躾と言った基本的な生活習慣が身に付いていない
★自転車通行に顕著に表れているように「モラル」の低下
★認められることに対する意識過剰
★思い通りにならないと腹を立てる
★友達との関わりでガマンができない
★挨拶をしても返事をしない
★外見を気にし過ぎる
★自分の非は認めず、周りのせいにする
このような今風の子供達になっている
要素に私見ながら次のようなことが
あるのではないかと考えられます。
▶欧米文化普及に伴い、
その悪いところも見習ってしまった
(欧米への憧れ)
▶物が溢れ知足=足るを知るの意識を
忘れている(当たり前の大切さ)
▶人と接する機会や場が少ない。
(核化・少子化・一人遊び)
▶人との関わりを積極的にしない。
(核化・少子化・無縁化)
▶見習うべきモデルが自己中心的である。
(親が自己中心的)
▶見習うのに良いモデルが身の回りにいない。
(無関心・孤独・放任)
▶したいことは何でも出来る。
欲しい物は何でも手に入る。
(自制心の欠如・甘やかし)
▶子どもの行動を親が決める。
(情報過多・過干渉)
例えば、
幼稚園では上手く挨拶が出来ていたのに
年齢が上がるにつれて出来なくなる。
恥ずかしいのが優先してしまうのかも
知れませんがチョット頭を下げて礼を示す
行為がどうして出来ないのでしょうか?
本当に身に着く迄、
親としても大人の責任として指導する
必要があるのではないでしょうか❓
と同時に、
大人や親により大切なことは、
大人がもっと自らの態度や言動を
指さし自分達大人の当たり前(常識的に
している心身の活動を真摯に振返り、
これで良いのかと見直すことを積極的に
行うと共に、今の自らの考え方や
常識(意識)を見つめ直す新しい時代の
意識改革に取組む必要があると思います。
十年前、2011年年末の「絆」一文字で
表わされたのは、私達がこのような
足りるを知ることを改めて深く思考する
「ターニングポイント」として意識する
絶好の機会でありその活動をする。
その為に、
何をどうすれば良いかを私達大人
ひとり一人が考え自ら意識改革に
取組み、行動に移す時である考えます。
個人主義の正しい理解➡【罪の意識と躾】
20世紀末頃迄は、
日本人は人の目人種と言われ
子供は親や肉親から人様に対する
「恥」を柱に躾けられ
「そんなことをすると人
(誰々さん)に笑われますよ」
「我が家の恥になるようなことは止めなさい」
「みっともないから、やめなさい
(してはいけません)」
と言ったように、
他人の目や周りの人の思惑を
意識した恥の躾をされられて来ました。
この意識からか、現代社会は
エゴサーチ?「ネット≒SNS」の書込み
をいつも気にするようになりました。
この恥に対し、欧米の子供の躾は
キリスト教の教え「善悪」を前提にし
「それは悪いことだからしてはいけません」
「人に迷惑をかけると罰せられます」
「それは、良いことだからしなさい」
と言う風に躾られて育つと聞き及んでいます。
要約すると
20世紀末頃迄の日本は「恥の躾」、
欧米は「罪の躾」であると言えます。
21世紀に入ってからの我が国の
社会環境では、自らが進んで他者を
認知せず≒認めず(認知)、個人の考え
意志、利益・保身、安心安全を優先し
認めて欲しい、認められたいと言う
利己的なことと柱に思考行動をする人、
即ち、「自己保全≒保身意識」が日本の
子供の躾の柱になっているように思えます。
従って、子育ては、個を主に捉え、
自己顕示のパフォーマンスや自分だけ、
自分さえ良ければ、楽しければ
と言う考え方、信念が無く上辺だけ
褒められるばかりて周りからぬくぬく
と育てられた結果として些細なことでも
打たれ弱く自分の感情を自性せず、
自制心欠如のキレ易い体質になり、
自己中の当たり前を信じるばかりに、
モラルやマナー意識や取組みを低下させ
人を思いやる心の欠ける結果になる、
と気付いていないと受止められます。
社会の中枢を担う人を指導教育する
立場の人に古より日本人が大切に
して来た人の心の礎とも言える「義や礼」、
社会人としてのモラルに乏しい人達が
多くなってるように受け止められます。
コロナ禍を体験した今こそ、
私達は。改めて日本人として原点=和の心
を見詰め「躾やモラル」の大切さを再認識
する必要があるのではないかと思います。
そして、それは様々な社会環境に
適合し日本人ならではの新しい罪の
意識も自覚出来る「日本人独自の躾」を
作りあげて行く必要がある、と思います。
この躾は、コロナ禍の今だけに限らず、
社会生活上で求められる様々なモラル・
マナー・コンプライアンスの礎であり、
我欲を自制コントールする足枷にもなります。
人としての躾や社会人のモラル
の修得は、「学習化」⇒「習熟化」
⇒「習慣化」⇒「習性化」のプロセスで、
ひとり一人が身に付けること意識し、
日々出来ることから継続し行うことです。