たびたび出くわす出来事には、意味がある
何かが上手くいくときの特徴っていうものがそれぞれの人にはあって、その特徴はひとりひとり違っています。何かが上手くいかないときの特徴っていうのもそれぞれの人にはあって、その特徴もまたひとりひとり違っています。
実はそれは、自分がどんな「ものがたり」と縁があるのかというコトとも繋がっています。
集団の中に居て目的が用意されていないという状態では、その「ものがたり」は起き上がってきません。
目的を持って、ひとりで何かしている時にそれは起こりやすいでしょう。自分の、自分だけの特徴ある「ものがたり」とか「ものがたりの傾向」と出会うには、ひとりで何かに向って進んでみるということが条件だということになります。
それは例えば、とある場所からとある場所への移動中に起きることでもあります。それは今ここという場所からどこかに到着するゴールという地点までの間に起きる自分だけの「ものがたり」です。
そういうところに自分だけの「ものがたり」の特徴が出現しているのかもしれない、ということを知っていると、単なる小さな出会いとして通り過ぎて忘れ去ってしまっていたことが、案外大切なことを教えてくれていたのかもしれないってことになってくるでしょう。
実際にそういうことは多いです。
例えば、用事があってバスで知らない街へと移動している時に、知らないおばあさんに話しかけられてそれに答えているうちに気持ちが明るくなってきてなんだか楽しくなってしまい、バスを降りる頃には最初は不安で今日はどうなることか…と思っていた自分の気持ちが変わってしまっていた、とか。
それは偶然でしょうか…
たまたま、でしょうか…
もしかしたらそれは自分が持っている「ものがたり」の断片なのかもしれません。
困った時や不安になった時、そう言えばいつも「年配の人に助けられ」「年配の人にウェルカムされ」結果的にリラックスして向うことが出来た、という過去が何度も繰り返されてきているかもしれません。
生活の中にある「よくある出来事」ということをサラッと流してきているとしたら、立ち止まってみるということをオススメします。そういう特徴は誰にでも起きることではありません。
自分だけに起きることなのです。
例えば、いつもどこに行っても、初めての場所に居る時も道を聞かれるという方もいます。
どこに行ってもお年寄りや年配の方と喧嘩することでそこから飛び出して心機一転という新しさへと向うことがあるという経験をしている方もいます。
いつも仕事で行き詰まった時、もうダメだ、道が見えない!という事態に陥った時に、業種の全く違う人に助けられるという方もいいます。
短期の派遣で様々な仕事に行ってみると、その会社、その部署で必ずと言っていいほどちょっと変わった変人さんのような人がいて浮いているんだけどなぜかそういう人に助けられている、という方もいます。
必ず先々大々的に売れてしまうことになるだろうアーティストの卵を見付けては応援してしまうという人もいます。
駅から駅までひとつの区間を歩いているだけでしょっちゅうナンパされるという人もいます。同じようでも全く違うのですが、しょっちゅう物を売り込む人に出会うという人もいます。
みんな偶然じゃなく、何かを知らせてくれているひとつの「ものがたり」なのかもしれないと考えてみることで、ただそれが起きる、そのうちまた似たようなことが起きる、という通過する出来事というのでは無くなります。
自分だけが持っている「特徴」を知ることが出来る、その「材料」「ヒント」にすることが可能です。
自分ってなんだろう?
自分ってどういう存在なんだろう?
果てしないような、答えの無いような、それでも知りたいと思ってしまうことへの答えへの道のヒントは、無いわけじゃなくちゃんとあって、それは日常の細かなあちらこちらに沈み込んでしまっているかもしれない、見えていないのかもしれない、ということを知るだけでも何かが違ってくるかもしれません。
例えば占星術の自分の生まれた時の配置図であるホロスコープ(出生図)からも、その自分の特徴のひとつずつを知っていくことは可能です。この社会の中では誤用されていることが多いのは事実ですが、占星術は本当には当て物ではなく、むしろ学問だったり、哲学の方向性にあるものなのだと知っていただくといいかなと思います。
写真と文 sanae mizuno
https://twitter.com/SanaeMizuno
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