「写真の日」 に思うこと
昨日から、つらづらと写真について語らいの如く書いていた言葉があったのだけれど。なんと偶然、今日は「写真の日」という日らしく。もう少し、思いを書いてみたくなったのでした。
先ずは、わたくしの普段使いのカメラ話をしましょうか。
ふと撮りたくなった時の、撮影スピードに間に合う身軽さ手軽さを重視すると、普段はどうしても携帯カメラで撮る事が多いのだけど。
作品として重きをおいて撮りたい時や、ゆったりとフィルムカメラ特有の所作を楽しみたい時。じっくりカメラに向き合いたい時は、フィルムカメラで撮るような感じのスタイルに、今はなっているかも知れない。
携帯のデジタルカメラも、フィルムカメラも、どちらにも良さがあって。どちらで撮る時にも変わらない感覚があるのだけど。それは、ハートの中のファインダーから感じて、眺めながら撮影をしているなあ・・と、いうこと。
え..!どういうこと!? と、思われるやも知れませんが。そういうことなんです、としか表現できず。笑
シャッターを切るタイミングがあるでしょう? その、タイミングの感触を自ら眺めていると・・どうやら、ハートの中にシャッターがあって、そこと指が連動してシャッターを押しているようなのです。
面白い表現だけれど、いつもそんな感覚で、 " 今だー! " とハートがキラッと煌めくタイミングで、押している気がする。目の前に広がっている世界から一番煌めいているタイミングを見つけて、その一瞬をパシャリと切り取る。そのファインダーから眺める一瞬の輝きの、美しさたるや。
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カメラのファインダーから眺めながら撮影することを続けていると。不思議と普段から、世界を眺める自分自身の眼差しまでもが、カメラのファインダーの眼差しと重なっていることに、ふと気付く。
実際、写真を撮る人として共通に感じる感覚というのは..
いつもの時間、街を歩いている時も。カメラのファインダーから覗いているかのような気持ちで、自分自身の眼から、世界を眺めているような気がするのです。多分それは、意識してそうしている訳ではなくって。自然とそうなってしまう、というような。
だから、自然に自分自身の眼で眺めている感覚と、撮影したいと感じる画角や、イメージが、掴みやすいのかも知れません。= 自分自身の瞳自体が、カメラの眼(レンズ)というのは..分かりみが深過ぎる〜という、お話でした。
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こうやって、文章にしたためてみると・・ずっと前に撮り始めた頃の気持ちや思いが蘇ってくるから不思議。思い出させてくれた「写真の日」にありがとうを言わなくちゃである。
今日は、初心忘るべからずの日にもなったなあ。こりゃあ、嬉しい日になりました。ここまで読んでくださった皆さまも、ありがとう。祈