「いろイロな色の話」-エッセイ-
子どもの頃。
絵を描くのが大好きで、文房具屋さんで見かけた48色セットの色鉛筆がどうしても欲しくて、おこづかいを貯めて、買った事があります。
でも、眺めてるだけで満足したり使うのが何だか勿体無かったりで、結局いつも使うのは12色の色鉛筆だったんですけどね。
まあでも、そんな感じで。
昔からとても関心のあった、色(color)にまつわる話を少ししたいと思います。
かつて日本には、4色しかなかった?
日本で最初に生まれたのは、黒・青・赤・白の4つの色だったと言われています。
この4色は、単体で色を表すだけでなく、『黒い』『青い』『赤い』『白い』というように『い』をつけるだけで色を表現する形容詞として使えるという共通点があります。
例えば、「黄い」とか「緑い」という呼び方はしないように、他の色には見られない特徴なんですね。
黒・青・赤・白は、なぜ最初に生まれたのでしょう?
古代の人にとって、この4色は1日を表現するもので、色というよりは明るさや濃さを意味するものだったとする説があります。
黒は夜の暗闇。つまり、暗いと同じ意味です。
それに対して、赤は明(アカ)るい様子を表していました。
つまり、黒と赤は対になっていたようです。
何となく黒白が対のイメージだったので、初めて知ったときは意外でした。
一方で。
はっきりと見えない薄明かりの状態を青(淡いが転じてアオいになったとも)。
明るく辺りがよく見える状態は白と呼ばれていました。これは、はっきりしているという意味を持つ著し(しろし)という言葉に由来していると言われています。
今の感覚とは、だいぶ違いますね。
色にまつわる作品
ここからは、すごい個人的な趣味に走った話になりますが。色に関する作品の話。
村上春樹さんの著書に「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」という作品があります。
主人公の田崎つくる君(作中で後に36歳になる彼をそう呼ぶのが妥当なのかはさておき)には、かつて名古屋での高校時代に知り合った仲間がいました。
彼以外の仲間は、「赤松」「青海」「白根」「黒埜」と名前に色が入っていて、一人だけ名前に色が入ってないつくる君は、何となく疎外感を感じていました。
……と、その先のあらすじだけでもかなり長い&ややミステリーを含む作品なのでネタバレを避けるため詳細は省きますが。
たまに登場人物について、「白根」「黒埜」も色がない(無彩色)じゃないか=つくる君だけ「色を持たないとするのはおかしい」という意見があるのです。
が、古代色を元にしてると思うと、私は納得いくなあと思ったり……。
カラフルさを押し出すなら、もっと他にも名前のつけようはあったと思うんです。
「黒子のバスケ」のキセキの世代(赤司君、緑間君、青峰君、黄瀬君、黒子君)みたいに。
ちなみに、皆それぞれ色のイメージを反映したようなキャラで魅力的です。
まあ、村上春樹さんの作品の方は、あれこれ「こうかな?」という読者の妄想を膨らませる要素が多いのが楽しみの一つなので、あくまでそんな読み方もあるよー、くらいの提案です。
ちなみに私は、村上さんの作品だと。
海辺のカフカと、ねじまき鳥辺りが好きです。
「色彩〜」を読んだ当時は……それまでの作品と違ってて少し衝撃でしたね。
……ええっと。だいぶ話が逸れました。
4色しかなかった古代から、ここまで多彩な色の名前が増えたのは、染色(布を染める)文化が盛んになってからだそうです。
日本では、植物を主原料とした天然染料で染色し、鉱物から顔料(画料)を生産してきた歴史があります。
なので、自然と植物や鉱物、あるいはその色に似た動植物の名前にちなんだ色の名前が多いようです。
平安時代には、襲(かさね)の色目といって、着物の色の組み合わせで季節感を表すなんて言う、かなりオシャレなこともしていました。
清少納言の枕草子も……
「春はあけぼの。 やうやう白くなりゆく〜」で始まるあの章も、今見るとすごい色彩感あふれる文章なんですよね。
日本の伝統色と呼ばれるものには1100以上あって、一つ一つに素敵な名前がついています。
自分の色はどんな色だろう?と考えてみたり、普段の文章に色彩を感じる表現を入れてみるのも面白いかも知れないですね。
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